【日本とイスラエル】青森県新郷村「大石神ピラミッド」

青森県新郷村にある「キリストの墓」から車で10分くらいの所に「大石神ピラミッド」という巨石群がある。先週、「キリスト祭」の前日に行って来ましたので、写真とともにお伝えします。

大石神ピラミッド案内図

昭和10年と言うので、「キリストの墓」の発見と同じ年、ピラミッドの権威者である酒井勝軍という人が調査したところ、これらの巨石群はピラミッドの条件に合致していることが分かったと案内表示には記されています。

大石神ピラミッド鳥居

入口には案内表示と鳥居があります。この鳥居の奥の丘陵に巨石群が広がっています。ここにはかつて小さな祠が祀られていて、古人が祭壇を設けて祈る雨乞いの霊場であり、日照りが続くと、雨乞いの儀式が昭和初期まで行われていたと新郷村観光ガイドブックには記されています。

太陽石

鳥居をくぐると、正面に「太陽石」と書かれた表示が出てきました。「むかしは光っていて反射した太陽を礼拝したと言われる石」と表示されています。「英国人エドガー兄弟も来村し、まさしく太陽礼拝所と立証した。」とガイドブックにはあります。

方位石

巨石群1

「太陽石」の右奥には「方位石」という表示があります。「正しく東西南北を示している石」と書かれています。

星座石

急な坂を下ると「星座石」と表示された石があります。「めぼしい星を記録しておいたと言われる石」と書かれています。

鏡石

一番下まで降りた所に「鏡石」と表示された大きな石があります。「むかしは直立し表面に文字が彫刻されてあったと伝えられるが安政4年7月23日の強震で倒れ埋没している」と書かれています。

 

巨石群2

巨石群3

巨石群4

確かにこの一帯にだけ巨石があり、人為的に置かれたのだろうと感じます。ピラミッドと言うので、古代エジプトの四角錐のピラミッドを想像していましたが、大石神ピラミッドというのは巨石が積み重ねられた建造物ではなく、巨石が配置されているという印象です。

古代ユダヤ系渡来人の礼拝所だったのではないか

ピラミッドという名称はともかく、これは礼拝所だったのかもしれません。古代ユダヤ人は巨石を配置して神を礼拝したようです。古代ユダヤ系渡来人がこの地に居住し、この場所に巨石を配置して神を礼拝したのかもしれません。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は宗教の戒律が記された教典ではなく、神様を中心として生きようとしたユダヤ人の歴史の記録であり、私たち日本人の心でもあると思います。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きる日本人の心に触れるために聖書を読んでいただきたいと思っています。

新約聖書 マタイの福音書 20章17~19節

さて、イエスは、エルサレムに上ろうとしておられたが、十二弟子だけを呼んで、道々彼らに話された。「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは人の子を死刑に定めます。そして、あざけり、むち打ち、十字架につけるため、異邦人に引き渡します。しかし、人の子は三日目によみがえります。」

3度目の十字架と復活の話

イエスは自分の十字架の死と復活について弟子たちに話しました。マタイの福音書に記されている十字架の死と復活の話はこれで3度目です。1度目の時には、「そんなことがあるはずがない」とペテロは言いました。2度目の時、弟子たちは非常に悲しんだとありました。そして3度目、弟子たちの反応は記されていません。

十字架と復活の話が中心ではない

実際にはこれ以上何度も語られたことなのかどうか分かりませんが、いつも語っていたことではないという印象を受けます。また、初めから語っていたことでもなく、十字架の死が近づいたので語ったのでしょう。しかも、群衆にではなく、十二人の弟子だけに語ったと記されています。確かにパウロという人の手紙を読むとキリストの十字架と復活の話が中心という印象を受けますが、イエスの話は決してそうではなかったように思います。

大切なことは神様を中心にして生きること

イエス・キリストの十字架と復活という出来事は教えではなく、神様が私たちの罪を赦して、受け入れて下さる根拠だと思いますが、大切なことは単にそのことを知っているとか、それを信じているということではなく、神様を中心にして生きることだと私は思っています。それこそイエスが教え続けた神の国であり、そのためにイエスは十字架についたのだと私は思います。イエスは十字架の死と復活は何のためなのかということにはここでも触れていません。ただ事実を述べるだけという感じがします。

神様に思いを向ける

自己中心を退けて、神様を中心にして生きる。それは決してキリスト教徒になるとか、何かの宗教を信仰することではないと私は思っています。日本人が太古の昔から崇めて来た神様にもっともっと思いを向けること、神様の願いや思いを中心にして生きることに他ならないと思います。

いかがでしたか

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今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。