【日本とイスラエル】ラビ・グリーンバーグの研究

古代日本にユダヤ人は来たのか。日本ユダヤ教団のラビ(教師)として10年間日本で過ごしたことのあるマーヴィン・トケイヤー氏の著書「日本・ユダヤ封印の古代史」からご紹介いたします。

グリーンバーグの研究

サミュエル・A・グリーンバーグは、イスラエル出身のラビであるが、彼もまた、イスラエルの失われた十部族はシルクロードを経てアジアに至り、日本人の先祖となったと信じている。グリーンバーグは、中国には紀元前の時代からイスラエル人の住んでいた証拠が数多くあることをあげている。彼は、イスラエル人は日本までやって来たと考えた。

イスラエル人と日本人の共通点

イスラエル人と日本人には多くの共通点がある。たとえば両民族とも、先祖や親への尊敬の念、がんこさ、献身、伝統を忠実に守る点、集団の中における適応性などを特徴としている。日本の神社の本殿に偶像が置かれていないことも、古代イスラエル神殿の至聖所に偶像が置かれていなかったことと同じである。これは重要な特徴であり、本書においても後の章で詳しく述べたいと思う。

その他の共通点

そのほか、祭、死体にふれることを汚れと考えること、みそぎ、塩を使う習慣、両者とも菊の紋(菊に似た紋)を用いていることなど、イスラエルと日本の双方に見られる共通点を彼は列記している。

民族としての主体性と独自性

ユダヤ人は、歴史的な迫害にもかかわらず、ユダヤ民族としての主体性と独自性を維持してきた。同様に日本人も、長い歴史の中で他の民族の文化にのみ込まれることなく、日本民族の主体性と独自性を維持し続けてきた。これはユダヤ人と日本人の深いところでの共通性によるものと、グリーンバーグは考えたのである。

著名な日本人の意見

最近では、著名な日本人の中にも、このことについて真剣に取り上げている人々がいる。1959年、評論家として有名な大宅壮一は、西暦70年にローマ軍によってエルサレムが破壊されたとき、ユダヤ人は七つのグループに分かれて世界に散らばった。うち六つの消息は歴史的な記録からわかっている。しかし、残りの一つがはっきりしない。この第七のグループは日本に来たと言われている、と書いた。

世界中の人々の研究

小説家・北杜夫も、頭に兜巾をつけ、長い鼻を持つ「天狗」は、古代に中国を経由して日本にやって来たユダヤ人の名残ではないか、と述べている。ほかにも、多くの人々が、日本の中に古代ユダヤ人、また古代イスラエルの失われた十部族の影響を見てきた。読者に知っていただきたいことは、この問題に関して興味を持っているのは、単に日本人だけではないということである。多くのユダヤ人、またキリスト教徒、そして世界史の謎に興味を持つ世界中の人々が興味を持ち、研究し、調査を進めている。(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は宗教の戒律が記された教典ではなく、神様を中心にして生きようとしたユダヤ人の記録であり、私たち日本人の信仰のルーツでもあります。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心として生きる日本人の心を知るために聖書を読んでみてください。

新約聖書 マタイの福音書 25章14~30節

天の御国は、しもべたちを呼んで、自分の財産を預け、旅に出て行く人のようです。彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには五タラント、ひとりには二タラント、もうひとりには一タラントを渡し、それから旅に出かけた。

五タラント預かった者は、すぐに行って、それで商売をして、さらに五タラントもうけた。同様に、二タラント預かった者も、さらに二タラントもうけた。ところが、一タラント預かった者は、出て行くと、地を掘って、その主人の金を隠した。

さて、よほどたってから、しもべたちの主人が帰って来て、彼らと清算をした。すると、五タラント預かった者が来て、もう五タラント差し出して言った。『ご主人さま。私に五タラント預けてくださいましたが、ご覧ください。私はさらに五タラントもうけました。』

その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』

二タラントの者も来て言った。『ご主人さま。私は二タラント預かりましたが、ご覧ください。さらに二タラントもうけました。』その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』

ところが、一タラント預かっていた者も来て、言った。『ご主人さま。あなたは、蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方だとわかっていました。私はこわくなり、出て行って、あなたの一タラントを地の中に隠しておきました。さあどうぞ、これがあなたの物です。』

ところが、主人は彼に答えて言った。『悪いなまけ者のしもべだ。私が蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めることを知っていたというのか。だったら、おまえはその私の金を、銀行に預けておくべきだった。そうすれば私は帰って来たときに、利息がついて返してもらえたのだ。だから、そのタラントを彼から取り上げて、それを十タラント持っている者にやりなさい。』

だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、持たない者は、持っているものまでも取り上げられるのです。役に立たぬしもべは、外の暗やみに追い出しなさい。そこで歯ぎしりするのです。

世の終わりを生きるとは

この地上での生き方について、イエスが弟子たちに語られたたとえ話です。神様を中心にして生きるとはどういうことなのか。ポイントは「忠実さ」ということだと思います。与えられている物は人それぞれに違うと思いますが、与えられているものが少ないから神様を中心にできないということもないと思います。

今、与えらていることに忠実に生きる

たとえそれがわずかな物であったとしても、神様から与えられている、そのわずかなことに忠実に仕えたら良いということだと思います。神様は私たちの忠実さを喜んでくれるというたとえ話だと思います。

いかがでしたか

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今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。