【日本人と日本文化】あるパキスタン人が見た日本人の素晴らしさ

「私は日本のここが好き!外国人54人が語る」という本からご紹介します。モハマド・サリーム・メマンさんは日本滞在20年のパキスタン人です。

最も日本の良いところ

自分の目で見た日本は、本当に話に聞いていたとおりの親切で正直でマナーのいい人たちの住むクリーンな国でした。生活の便利さ、都市の中の公園、自然、美味しい食べ物(特にうどん)、建築、温泉、花火、お祭りなど、素晴らしいものはたくさんありました。しかし、中でも最も日本の良いところは、人間の資質だと思います。

意地悪な言葉を言われたことがない

私は日本に来てから、私の足や、歩き方について意地悪な言葉を言われたり、失礼な呼ばれ方をされたりしたことは一度もありません。(モハマドさんは生まれた時から片方の足に不自由がある。)自分の国ではそうではありませんでした。そのことが毎日の暮らしの中でどんなに気持ちを楽にしてくれるかは、そういう扱いを受けた経験がない人にはなかなかわかっていただけないでしょう。

私にとっては信じられないこと

また、こんなことがありました。日本に着いてすぐの頃、言葉もお金もわからないので、乗り物の代金を支払う時、両手を開いてお金をその上に載せて取ってもらうようにしました。正直な日本の人たちは、そこから必要な分しか取りませんでした。私にとっては信じられないことでした。

日本人の優れた資質

日本人の正直さ、契約を守ること、時間に正確であること、それから丁寧で清潔な暮らし方や伝統を守るところ、勤勉さなどはとても優れた資質だと思います。そして、自分の宗教以外の他の宗教についても敬意を払うところも素晴らしい点です。

良きイスラム教徒に求められるもの

私はイスラム教徒ですが、同じ宗教で世界を見たことのある人たちと話をする時に、みんなで共通する日本の人たちについての意見があります。それは、イスラム教国ではない、ノン・ムスリム・カントリーの中で、良きイスラム教徒として求められる資質を最も備えているのは日本人だと。もちろん生活の習慣は大いに異なりますが、日本の人たちの持つ良い人間性は、私たちが良きイスラム教徒として求められているものと重なるものです。

残念なこと

初めて日本を見た約20年前とは、安全さも人間も随分と望ましくない方向へ変わってきてしまい、残念に思っています。どうかそれらの貴重さを日本の人たちが認識して大切にして欲しいと願っています。(本からの抜粋引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は宗教の戒律が記された教典ではなく、神様を中心にして生きようとしたユダヤ人の記録であり、実は私たち日本人の国民性のルーツでもあります。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きる日本人の素晴らしさを大切にするために聖書を読んでみてください。

新約聖書 マルコの福音書 1章16~28節

さて、イエスはガリラヤの海べを歩いて行かれ、シモンとシモンの兄弟アンデレとが、海で網を打っているのをごらんになった。彼らは漁師であった。イエスは彼らに言われた、「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」。すると、彼らはすぐに網を捨てて、イエスに従った。

また少し進んで行かれると、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネとが、舟の中で網を繕っているのをごらんになった。そこで、すぐ彼らをお招きになると、父ゼベダイを雇人たちと一緒に舟において、イエスのあとについて行った。

それから、彼らはカペナウムに行った。そして安息日にすぐ、イエスは会堂にはいって教えられた。人々は、その教えに驚いた。律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように、教えられたからである。

ちょうどその時、けがれた霊につかれた者が会堂にいて、叫んで言った、「ナザレのイエスよ、あなたはわたしたちとなんの係わりがあるのです。わたしたちを滅ぼしにこられたのですか。あなたがどなたであるか、わかっています。神の聖者です」。イエスはこれをしかって、「黙れ、この人から出て行け」と言われた。すると、けがれた霊は彼をひきつけさせ、大声をあげて、その人から出て行った。

人々はみな驚きのあまり、互いに論じて言った、「これは、いったい何事か。権威ある新しい教だ。けがれた霊にさえ命じられると、彼らは従うのだ」。こうしてイエスのうわさは、たちまちガリラヤの全地方、いたる所にひろまった。

弟子たちを選ぶ

イエスが弟子を選んだ様子が記されています。それはイエスの教えを聞いて、イエスを師と仰ぐ人たちだったのではなく、まだイエスの話を聞いたこともない漁師に、イエスの方から声をかけたことが分かります。なぜ、イエスは漁師たちを弟子に選んだのでしょうか。自己中心を退け、神様を中心にして生きる生き方とは、難しい学問や悟りではなく、日常の問題だということを示すためだったのかもしれません。

生きて働く神様の力を体験する

その教えは律法学者たちのようではなく、権威ある者のようであったとあります。確かにそれは難しい説明や聖書の解説ではなかったということでしょう。ところがその教えには権威があり、力があったことが分かります。神様を中心にして生きるなら、そこに神様の生きた力が働くということではないでしょうか。頭で考えているばかりではなく、実際に自己中心を退けて、神様の願いや思いを中心にして生きる人が体験する神様の力なのだと思います。

いかがでしたか

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