【時事】津久井やまゆり園事件から1年

19人が殺害され、27人が重軽傷を負った事件から先月で1年が過ぎました。2016年7月26日午前2時38分、神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」に刃物を持った男が侵入し、入所者が刺された事件です。犯人はこの施設の元職員で「障害者なんていなくなればいい」と言っていたといいます。

犯行を正当化する犯人

逮捕後の取り調べで、犯人は「障害者の安楽死を国が認めてくれないので、自分がやるしかないと思った」、「障害があって家族や周囲も不幸だと思った。事件を起こしたのは不幸を減らすため。同じように考える人もいるはずだが、自分のようには実行できない」、「殺害した自分は救世主だ」、「(犯行は)日本のため」などと供述していたという。

今も変わらない犯人の考え

重度・重複障害者を「人の幸せを奪い、不幸をばらまく存在」だと主張し、その上で「面倒な世話に追われる人はたくさんいる」、「命を無条件で救うことが人の幸せを増やすとは考えられない」として、重度障害者の殺害を正当化する考えは、1年経った今も変わっていないという。

犯行を支持する声

事件後、この犯行を称賛、支持したり、犯人を英雄視するインターネットの書き込みも相次いだと言います。先日、ニュースを聞いていたら、「犯人のゆがんだ考えは今も変わっていない」と言っていましたが、何がどのようにゆがんでいるのかを明確にしないと、このような犯行を正当化する考え方はなくならないのではないかと思いました。

優生思想の何が問題なのか

人の迷惑になるだけで、税金を使うだけの存在だから、生きる意味がないと犯人は考えているようです。それはヒトラーの優生思想に通じるものだという批判もありますが、なぜ優生思想が問題なのかを明らかにしなければならないと思います。ヒトラーの名前を出せば決着がつくということではないと思います。

絶望的な進化論

ヒトラーの優生思想は進化論に支えられているものだと言われますが、それは優れた種が生き残ることが自然の法則だという考え方だと思います。以前にこのブログでも取り上げましたが、神様の存在を否定する進化論は絶望的です。神様を中心に考えなければ、人の生きる意味は分からないと思います。

神様を中心にして考える

人は神様によって、意義と目的を持って、神のかたちに造られた存在です。人間を中心にして、人間が勝手に、あの人は価値がないと決めることは出来ません。神様によって命が与えられて、生かされていることを考えるなら、障害があっても、なくても、人には生きる意味があるということです。

生きる意味

もちろん、出来る事は自分ですることも大切だと思いますが、障害者のお世話をする人も必要だと思います。それもまた意義あることであり、生きる意味だと思います。こうやって、私たちは神様から与えられた命を、お互いに助け合いながら、精一杯生きる。それが生きる意味だと思います。

何がゆがんだ考えなのか

何がゆがんだ考えなのか。それは神様の思いや考えを無視した、人間中心の考えのことだと思います。そこを明確にしないと、このようなゆがんだ考え方を持つ人が増えてしまうのではないかと危惧します。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は宗教の戒律が記された教典ではなく、神様を中心にして生きようとしたユダヤ人の歴史の記録であり、実は私たち日本人の信仰のルーツでもあります。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心として正しく生きるために聖書を読んでみてください。

新約聖書 マタイの福音書 28章11~15節

女たちが行き着かないうちに、もう、数人の番兵が都に来て、起こった事を全部、祭司長たちに報告した。そこで、祭司長たちは民の長老たちとともに集まって協議し、兵士たちに多額の金を与えて、こう言った。「『夜、私たちが眠っている間に、弟子たちがやって来て、イエスを盗んで行った』と言うのだ。もし、このことが総督の耳に入っても、私たちがうまく説得して、あなたがたには心配をかけないようにするから。」

そこで、彼らは金をもらって、指図されたとおりにした。それで、この話が広くユダヤ人の間に広まって今日に及んでいる。

墓が空になったことは事実

当時、ユダヤ人の間に「弟子たちがイエスの体を盗んで行った」という噂が流布していたことを前提として、このことが記されているとすれば、実際に墓は空であって、イエスの体がなくなっていたことは事実だということ伝えていると思います。

イエスの復活は事実

そうすると、弟子たちが盗んだのか、本当によみがえったのか、どちらが事実なのかということだと思います。ローマ兵が眠っている間に、弟子たちが来て、大きな石を取り除いて、イエスの体を盗んで行ったということはとうてい考え難いと思います。そうすると、イエスがよみがえったのは事実だという結論になるでしょう。ローマ兵もそれを見たのではないでしょうか。

神様には出来る

もちろん、私には想像する以外にはありません。しかし、大切なポイントは天地万物を創造した神様に、それは不可能なのかということではないでしょうか。人間を中心に考えるなら、そんなことはあり得ないと思うかもしれませんが、神様を中心に考えるなら、それはあり得ると私は思います。人に出来ないからと言って、神様にも出来ないということはないと思います。

人の限界を超える力

人の力を超えた神様の力は働いている。その神様を中心にして生きるなら、人は人間の限界を設けずに、希望を失うことなく、どんな困難も乗り越えて行くことができるのではないでしょうか。それが本来の日本人の信仰であり、日本人の力だと思います。

いかがでしたか

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