【日本人と日本文化】「おかげさまで」の心

「おかげさまで」という言葉は、満ち足りることを知る素晴らしい日本語だと思います。「日本流マインドフルネス。心を満たす『おかげさま』の作法」という記事からご紹介いたします。

いかに恵まれているかを知ること

「おかげ」というのは神様や自然、他者など、自分以外のあらゆる存在からいただいた恩恵のこと。「おかげさま」の言葉が象徴しているのは、「自分がいかに恵まれた環境にいるのか気がつき、人々の縁に感謝し、内側から満たされる」という日本古来のマインドフルネスな心のありようや作法なのです。

全体の一部としての自分

自分の利益になることは「得」、一方でみんなの役に立つことは「徳」と言います。仕事をする上で自分の「損得」のことばかり考えていると、「給料が労働に見合わない」「私ばかりが働かされている気がする」など、ちょっとしたことでモチベーションが下がり不満ばかりを口にするようになります。何かをするときにはまず「得」でなく「徳」について意識してみる。そうすることで自然と前向きな気持ちで物事に取り組むことができるようになります。

感謝すること

食事の前後に手を合わせて言う「いただきます」「ごちそうさま」のあいさつ。この習慣には、食材となってくれた動植物や、それらを与えてくださった神様や自然、食事をつくってくれた人への感謝の気持ちが込められています。これはマインドフルネスの教えのひとつ、今、目の前にあるお料理にまっすぐ向きあって感謝して食べる「マインドフル・イーティング」に共通する作法だと思います。

それは神様を中心にすること

神道では、理想とされる心のあり方を表す「明浄正直」という言葉があります。これは「明るく、浄(きよ)く、正しく、まっすぐに」という意味を表しているそう。周りの人に対して正直に明るく接する、という意味ももちろんあるでしょうし、自分に対して正直に、まっすぐに向きあう、という意味も込められているように思います。

日本文化に息づく心の豊かさ

今ここにあるものに光を当てて、気づく。このようなマインドフルネスの教えは、日本にすでに息づいていました。外からの刺激による幸福感は長続きしません。今あるものに感謝をする「おかげさま」の精神は、現代の生活にこそ取り入れたい日本古来の心を豊かにする知恵なのだと思います。(記事からの抜粋引用は以上です。)

それは神様を中心にした生き方

自己中心ではなく、神様を中心にして、心満たされて生きる豊かな人生の秘訣が日本語や日本の文化、習慣の中には引き継がれています。太古の昔から日本人が大切にして来た習慣を大切にするなら、心豊かな人生を生きることができるのだと思います。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は宗教の戒律が記された教典ではなく、神様を中心にして生きようとしたユダヤ人の歴史の記録であり、実は私たち日本人の文化、伝統、習慣、信仰のルーツでもあるのです。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心として生きる日本人の心に触れるために聖書を読んでみてください。

新約聖書 マタイの福音書 27章57~66節

夕方になって、アリマタヤの金持ちでヨセフという人が来た。彼もイエスの弟子になっていた。この人はピラトのところに行って、イエスのからだの下げ渡しを願った。そこで、ピラトは、渡すように命じた。

ヨセフはそれを取り降ろして、きれいな亜麻布に包み、岩を掘って造った自分の新しい墓に納めた。墓の入口には大きな石をころがしかけて帰った。そこにはマグダラのマリヤとほかのマリヤとが墓のほうを向いてすわっていた。

さて、次の日、すなわち備えの日の翌日、祭司長、パリサイ人たちはピラトのところに集まって、こう言った。「閣下。あの、人をだます男がまだ生きていたとき、『自分は三日の後によみがえる』と言っていたのを思い出しました。ですから、三日目まで墓の番をするように命じてください。そうでないと、弟子たちが来て、彼を盗み出して、『死人の中からよみがえった』と民衆に言うかもしれません。そうなると、この惑わしのほうが、前の場合より、もっとひどいことになります。」

ピラトは「番兵を出してやるから、行ってできるだけの番をさせるがよい」と彼らに言った。そこで、彼らは行って、石に封印をし、番兵が墓の番をした。

十字架から降ろされ、墓に納められたイエス

ここにはヨセフという人によって、イエスの遺体が十字架から降ろされ、墓に納められ、大きな石で入口がふさがれたことが記されています。目撃者もいたことも書かれています。そして、その翌日にはイエスの遺体が盗み出されないようにローマ兵が墓の入口に配置されたことも記されています。

なぜ惑わしと思ったのか

驚いたことに、祭司長もパリサイ人たちも、イエスが三日目によみがえると言っていたことを知っていたことが記されています。それはすべて惑わしだと彼らは言っていますが、どうして惑わしなのでしょうか。それはただ彼らにとって不都合だったということではないでしょうか。

何が神様の声を退けてしまうのか

自己中心を退けて、神様を中心にして生きるなら、喜びの人生を生きることができるようになることは、彼らもまた例外ではなかったと思います。しかし、彼らはあくまでも自己中心を手放しませんでした。必ずしも自分が正しいとは限らないという心、本当にそうなのかどうか成り行きを見守ってみようという心が少しでもあれば、これほど頑なに神様の思いを退けることもなかったのではないかと思います。

神様の声を聞こうとする心

自分の考えは必ずしも正しいとは限らないという思いを持つこと。心をやわらくして、良心に語り掛けられる神様の声なき声に耳を傾けることが大切だと思います。

いかがでしたか

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