「死者の汚れだけではない。日本には女性の月経や、妊娠中、また産後に関する汚れ(忌み)の観念が古代からある。」と日本ユダヤ教団のラビとして、日本で10年以上過ごしたことのあるマーヴィン・トケイヤー氏は書いています。その著書「日本・ユダヤ封印の古代史」からご紹介いたします。
月経に関する汚れの観念
古来、日本では月経(生理)中の女性は神事に参加してはならなかった。夫との性交渉もさけられ、彼女は集落内に設けられた共同の別小屋(月経小屋)に、月経中およびその後の数日あるいは七日程度にわたって、こもらなければならなかった。この風習は明治頃まで広く日本中に見られたものである。
汚れを清める
また、その忌みの期間が終わると、女性は川や泉、海などの自然の水で身を清めることが求められた。ただ自然の水がないときは、浴槽でもよいとされた。
イスラエルにも同じ観念がある
イスラエルにおいても、月経中の女性は神事に参加できず、夫から離れて、別小屋にこもることが行われた。こもる期間は、月経中およびその後の七日間だった(旧約聖書レビ記15章19、28節)。この「こもる」ことを「血のきよめのためにこもる」と言った。それは清めのため、また汚れを家や村に持ち込まないためであった。同様の風習は今もユダヤ人の間にある。
ユダヤ人と日本人のみに見られる観念
このように生理中とその後の期間にわたって汚れの観念があり、よく似た禊ぎ(みそぎ)の習慣があるのは、ユダヤ人と日本人だけであろう。これは、古代における両者の深いつながりを示す重要な証拠に違いない。
出産に関する観念
出産に関する観念も、古代イスラエルのものと日本神道のものはよく似ている。日本では古来、出産をする母親は、妊娠中および産後の一定期間「汚れている」とみなされてきた。『延喜式』(10世紀)には、汚れにふれて神事にたずさわってはいけない忌みの日数を、出産の場合は「七日」と定めている。
古代イスラエルと同じ風習
これは古代イスラエルの風習に大変よく似ている。「女が身重(みおも)になり、男の子を産んだときは、その女は七日の間汚れる。その女は月のさわりの不浄の期間のように、汚れる。・・・・・・その女はさらに三三日間、血のきよめのために、こもらなければならない。・・・・・・もし、女の子を産めば・・・・・・二週間汚れる。その女はさらに六六日間、血のきよめのために、こもらなければならない」(旧約聖書レビ記12章2~5節)。
こもる習慣
日本でも、妊娠中、および産後の女性は一定期間、「産屋(うぶや)」と呼ばれる特別に設置された小屋に「こもる」習慣が、広く明治頃まで見られた。古事記にも「産屋」が出てくる。こもる期間は、一般的に出産後三〇日前後までとされるところが多かった(長い所では一〇〇日近くに及んだ。)
初宮詣も同じ
古代イスラエルでは、この静養期間のあとに、母親は子供と共に初めて宮詣でをすることができた。日本神道の風習でも、産の忌みの期間があけたのち、その子供を連れて「初宮詣(はつみやもうで)」をすることができる。現在の日本では、初宮詣はふつう、男子の場合は生後三二日目(または三一日目)、女子の場合は生後三三日目に行われることが多い。
母親以外が抱くのも同じ
ただし神社に初宮詣をするとき、子供を抱くのは母親ではない。母親以外の者——ふつう夫の母(姑)がこれを行うのが古くからの習慣である。これは、古代イスラエルにおける母親の産後の汚れの観念に非常によく似ている。(本からの引用は以上です。)
聖書を読みましょう
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は宗教の戒律が記された教典ではなく、神様を中心にして生きようとしたイスラエルの人々の記録であり、日本人の文化、風習のルーツでもあります。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きる日本人の原点を知るためにも聖書を読むことは大切だと思います。
新約聖書 マルコによる福音書 8章11~21節
パリサイ人たちが出てきて、イエスを試みようとして議論をしかけ、天からのしるしを求めた。イエスは、心の中で深く嘆息して言われた、「なぜ、今の時代はしるしを求めるのだろう。よく言い聞かせておくが、しるしは今の時代には決して与えられない」。そして、イエスは彼らをあとに残し、また舟に乗って向こう岸へ行かれた。
弟子たちはパンを持って来るのを忘れていたので、舟の中にはパン一つしか持ち合わせがなかった。そのとき、イエスは彼らを戒めて、「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種とを、よくよく警戒せよ」と言われた。
弟子たちは、これは自分たちがパンを持っていないためであろうと、互いに論じ合った。イエスはそれと知って、彼らに言われた、「なぜ、パンがないからだと論じ合っているのか。まだわからないのか、悟らないのか。あなたがたの心は鈍くなっているのか。目があっても見えないのか。耳があっても聞こえないのか。まだ思い出さないのか。五つのパンをさいて五千人に分けたとき、拾い集めたパンくずは、幾つのかごになったか」。
弟子たちは答えた、「十二かごです」。「七つのパンを四千人に分けたときには、パンくずを幾つのかごに拾い集めたか」。「七かごです」と答えた。そこでイエスは彼らに言われた、「まだ悟らないのか」。
天からのしるしを求める人
イエスが本当に神様の権威を与えられたメシヤであるなら、その証拠を見せろと言うことでしょうか。すでにイエスを通して、病人を癒したり、生まれつき歩けない人を歩かせたりといった超自然的な出来事が起こっているのに、まだ証拠を見せろとは一体どういうことなのでしょうか。イエスはそのような人から離れて行きました。
パリサイ人とヘロデのパン種
「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種とを、よくよく警戒せよ」とイエスは弟子たちに教えました。マタイによる福音書16章12節を見ると、「パリサイ人とサドカイ人のパン種を警戒しなさい」とあり、それは「パリサイ人とサドカイ人の教えのこと」だと弟子たちは悟ったとあります。また、ルカによる福音書12章1節を見ると、「パリサイ人のパン種、すなわち彼らの偽善に気をつけなさい」とあります。
神様を中心にして生きる
大切なことは人間中心、自己中心を退けて、神様を中心にして生きることです。それが神の国であり、救いだとイエスは教えました。イエスが本当にメシヤであるかどうか、その証拠はあるのか、そういうことを議論することではありません。難しい神学や教理を理解することでもありません。それぞれがその良心で判断することができることだと思います。
いかがでしたか
参考になりましたら「いいね!」でお知らせください。また、シェアのご協力もよろしくお願いします。今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。
本をお求めください
Amazonから「日本人の信仰が世界を救う—元キリスト教牧師が語る神の国ニッポン」を出版しています。電子版は800円。文庫版は2,182円です。日本人の高い国民性のルーツは聖書にあること、イエスの教えはキリスト教よりむしろ「日本人の信仰」の中に引き継がれていることが分かります。ぜひ、読んでみてください。
本書の目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」
詳しくは書籍情報をご覧ください。