【日本とイスラエル】「大祓い」と古代イスラエルの贖い

日本とイスラエルの類似した風習について、日本ユダヤ教団のラビ(教師)として、日本で10年以上過ごしたことのあるマーヴィン・トケイヤー氏の著書「日本・ユダヤ封印の古代史」から紹介しています。

大祓(おおはら)いの儀式

日本の古神道には、「大祓いの儀式」というものが伝わっている。これは日本の国の一切の罪汚れを祓いやる儀式である。大祓いの儀式のとき、天皇は麻の衣を着て紫宸殿(ししんでん)に来られる。天皇が卑しい姿になって、大祓いのお祭りをなさる。それが終われば、その衣は小さな舟に乗せて、当時都のあった京都から加茂川に流された。そして大阪の浪波洲まで流れ、波の中に消えるまで見届けた。

人形(ひとがた)

一方、民間では神社の神官が、「人形(ひとがた)」といって人の形に切った紙に人々の罪汚れを託し、それを川や海に流すということをする。

年二回の罪の贖い

古代の日本人は、罪の処分をきちんとしなければ、新しい年を迎え得ないと思った。大祓いは、宮中や各地の神社などで、毎年六月三〇日と一二月三一日に行われている。ユダヤには、実質的に「新年」が二つあり、一つは(ユダヤ暦)第七月一日、もう一つは第一月一日である(前者は天地創造に基づき、後者は出エジプトに基づく)。

アザゼルのヤギ

大祓いの思想は、旧約聖書にある思想に類似している。それはレビ記に書かれてあるアザゼルのヤギの風習によく似ている。アザゼルのヤギというのは、イスラエルの大祭司が神殿において行った儀式である。ヤギの頭に手を置いて祈り、そのヤギにイスラエルの人々の罪を託して、荒野に連れていき、地平線のかなたにそのヤギが消えていくのを見届けた。

祝詞(のりと)に述べられる「罪」

さらにある神道家は、大祓いのときに唱えられる祝詞(のりと)(祈禱文)に述べられている「罪」の種類が、聖書のレビ記に述べられている「罪」の種類に酷似していると、指摘している。大祓いの祝詞において、地上的な罪として、「生きている人を傷つけること(生膚断)(いきはだたち)、死人を傷つけること(死膚断)(しにはだたち)、ハンセン病(白人)(しらひと)、こぶのある者(こくみ)、母と姦通する罪、自分の子を犯す罪、母と子を犯す罪、・・・・・・獣姦、また呪術」などが挙げられている。

聖書の「罪」との酷似

古代イスラエルにおいては、人の体でも自分の体でも、傷つけることは禁じられた(レビ記19章28節)。死体を冒瀆することも禁じられた。ハンセン病や(13章10~11節)、こぶのある者(21章20節)、そのほか体に障害のある者は、神殿で仕えることはできなかった(21章17~23節)。母との姦通、娘との姦通、獣姦なども、もちろん厳しく禁じられていた(18章6~23節)。そして呪術、魔法の類も禁じられていた(申命記18章11節)。このように日本の大祓いの祝詞で言及されている「罪」は、聖書で言われているものと、驚くほどよく似ているのである。(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

罪の意識と贖いにおける日本神道と聖書の酷似。このような思想は他の文化では見られないものだと思います。日本神道の聖書起源を裏付ける一つの証拠だろうと思います。それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書はイスラエル人の記録であり、日本人の信仰の原点でもあります。キリスト教とは切り離して、日本人として聖書を読んでみてください。

新約聖書 マルコによる福音書 13章14~27節

荒らす憎むべきものが、立ってはならぬ所に立つのを見たならば(読者よ、悟れ)、そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。屋上にいる者は、下におりるな。また家から物を取り出そうとして内にはいるな。畑にいる者は、上着を取りにあとへもどるな。

その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である。この事が冬おこらぬように祈れ。その日には、神が万物を造られた創造の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような患難が起るからである。

もし主がその期間を縮めてくださらないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選ばれた選民のために、その期間を縮めてくださったのである。

そのとき、だれかがあなたがたに『見よ、ここにキリストがいる』、『見よ、あそこにいる』と言っても、それを信じるな。にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、しるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。

だから、気をつけていなさい。いっさいの事を、あなたがたに前もって言っておく。

その日には、この患難の後、日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。そのとき、大いなる力と栄光とをもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。そのとき、彼は御使たちをつかわして、地のはてから天のはてまで、四方からその選民を呼び集めるであろう。

エルサレム陥落の預言なのか

これはイエスが弟子たちに語った言葉の続きです。ここでイエスはA.D.70のエルサレム陥落について預言しているのでしょうか。確かにA.D.70にローマ軍によってエルサレムが包囲された時、このイエスの言葉を思い起こした弟子たちはたくさんいたのかもしれません。

メシヤを見る

そのとき「人の子」、つまりメシヤが大いなる力と栄光とをもって雲に乗って来るのを人々は見るとイエスは言っています。A.D.70にそのようなことがあったのでしょうか。メシヤは御使たちをつかわして、地のはてから天のはてまで、四方からその選民を呼び集めるとありますが、そのようなことはまだ歴史上起こっていないことだろうと思います。

イスラエル12部族回復の預言

実は旧約聖書にはイスラエル12部族の回復のことが繰り返し書かれています。確かにユダヤ人はホロコーストという神が万物を造られた創造の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような患難を経験したと思います。そして、1948年にイスラエル共和国が建国され、そのような患難期は終わったと考えているかもしれません。

まだ完全に回復されていないイスラエル

しかし、建国したイスラエル共和国はイスラエル12部族のうち2部族が中心であり、残りの10部族はまだ回復されていないと考えるユダヤ人も多くいます。このような聖書預言を真剣に信じるユダヤ人たちは残りの10部族が回復される時こそが本当のイスラエルの回復であると信じ、失われた10部族を探しています。

やがてその時が来ることをイエスは言っているのではないか

やがてメシヤが来て、イスラエル12部族が回復される時がくると考えるユダヤ人は多くいることでしょう。このイエスの言葉もそれを裏付けていると考えられます。そのことについては「イスラエル12部族に関する聖書預言と日本」というテーマで近々書きたいと思っています。

いかがでしたか

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本書の目次

一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」

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