【日本人と日本文化】社員を犠牲にしない日本の経営

「アメリカの解雇通告は突然やってきます。」と語るのは、日本在住24年(執筆当時)、ハワイ出身のアメリカ人ルース・ジャーマン・白石さん。彼女の著書「日本人が世界に誇れる33のこと」から紹介します。

日本企業の姿勢

日本の企業も深刻な業績の不振に苦しみ、これまで聖域とされてきた終身雇用制が崩れ始めています。しかしわたしから見れば、どんなに経営が苦しくとも社員を守ろうという日本企業の姿勢はまだまだ健在です。

50年間一度もリストラしない会社

これも『日本でいちばん大切にしたい会社』という本で知ったのですが、50年間一度もリストラをせず、創業以来、増収増益を果たしてきた寒天メーカーがあります。この会社の経営理念を読み、わたしは感銘を受けました。

この会社の経営理念

「企業は社員の幸せを通して社会に貢献すること」と謳い、さらに、「企業は企業のためにあるのではなく、企業で働く社員の幸せのためにある」とも書いてあるそうです。日本流の社員を犠牲にしない経営。これこそが、万国共通で、世界中の会社が目指すべき企業像といえるでしょう。

合理化なのか

経営の立場にあるわたしは、以前、「経営の合理化」のため、生産性の低い社員を数人辞めさせ、人員整理をするとともに、抜けた部分をどうカバーするかを検討したことがあります。そのことを社長に提案したところ、厳しく否定されました。「ルーシー、何を言っているんだ。そんなことをしたら、辞めさせられる社員がかわいそうじゃないか。彼らの身にもなってみろ」

感情的すぎないか

そう言われたのですが、わたしは内心、「かわいそうという言葉は、感情的すぎる。冷静に、合理的に考えなければならないマネジメントの現場では不適切な言い方ではないか」と思いました。今振り返ると、なんと生意気だったのかと恥ずかしくなります。しかしそのときはどうにも納得できません。社長の言葉が頭から離れず、どうすることがベストなのか、ずっと考えてきました。

日本人の心の根底にあるもの

社員全員の給与を下げることこそ、みんなが「かわいそう」なのでは?数人の社員が犠牲になっても、残りの大勢の社員の幸せのために仕方のないことではないのか・・・・・・。そう考え続けてきたのですが、あるとき、そうした合理的な考えをしない日本人の心の根底にあるものに気づいたのです。それは、「採用した者の責任」でした。

採用した者の責任

確かに、近年は日本でも転職が盛んに行われるようになりました。社員が自分の意志で会社を辞め、別の会社に入社するのは問題ありません。しかし、採用した側が、「採用した者の責任」を強く意識している企業は、日本がいちばん多いのではないかと思います。

日本企業のスピリット

世界的に経済が厳しくなっているこの時代に、一度採用したからには、企業努力を尽くし、できるだけその社員の雇用を守り抜こうという日本企業のスピリットは、とても美しく映るのです。(本からの引用は以上です。)

神様の前に正しく

「合理的」とは、結局目先の損得であり、自己中心なのかもしれません。神様の前に何が正しいことなのかと考えるなら、必ずしも合理化が答えではないのかもしれません。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は神様を中心にして生きようとしたイスラエル人の記録であり、日本人の心の源泉でもあると思います。キリスト教の教典としてではなく、神様の前に何が正しいことなのかを知るためにも聖書を読んでみてください。

新約聖書 ルカによる福音書 1章26~38節

六か月目に、御使ガブリエルが、神からつかわされて、ナザレというガリラヤの町の一処女のもとにきた。この処女はダビデ家の出であるヨセフという人のいいなづけになっていて、名をマリヤといった。

御使がマリヤのところにきて言った、「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」。この言葉にマリヤはひどく胸騒ぎがして、このあいさつはなんの事であろうかと、思いめぐらしていた。

すると御使が言った、「恐れるな、マリヤよ、あなたは神から恵みをいただいているのです。見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられるでしょう。そして、主なる神は彼に父ダビデの王座をお与えになり、彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くでしょう」。

そこでマリヤは御使に言った、「どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに」。御使が答えて言った、「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生まれ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう。

あなたの親族エリサベツも老年ながら子を宿しています。不妊の女といわれていたのに、はや六か月になっています。神には、何でもできないことはありません」。そこでマリヤが言った、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」。そして御使は彼女から離れて行った。

これは事実の記録なのか

これらの記録は事実なのか、私には知る術はありませんが、他の福音書にも同じ記述があること、また、この福音書の著者であるルカは、よく調べて書いたと言っているので、少なくとも当時、このようなことが言われていたのでしょう。いずれにしても、聖書にはこのように記されていることは事実です。

人間中心から神中心へ

また、まだ結婚していないのに、マリヤはみごもって、男の子を産むという御使の言葉は、人間中心に考えるならあり得ない話であり、マリヤも人間的には信じられなかったことが記されているのではないでしょうか。しかし、「神にはできないことはありません」という言葉を聞いて、マリヤは人間を中心にするなら信じられないことを、神様を中心にして、それを受け入れたということがここには記されているのだと思います。これが神様を中心にして生きるということだと思います。

いかがでしたか

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本書の目次

一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」

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