【日本とイスラエル】古代日本人はヘブル語を話したか

日本とイスラエルのよく似た風習について、日本ユダヤ教団のラビ(教師)として、日本に10年以上居住したことのあるマーヴィン・トケイヤー氏の著書「日本・ユダヤ封印の古代史」からご紹介いたします。

ひい、ふう、みい・・・

単に日本には昔、トーラーがあったと思われるだけではない。古代の日本にヘブル語を解する人々がいたのではないか、と思われることさえ数多くある。前述した「ひい、ふう、みい・・・」もそうであるが、古代の文献や、古事記、日本書紀等には、ヘブル語に意味も発音もよく似ているように思われる言葉が多く現れる。

アガタ・ヌシ

たとえば神武天皇は、地域のリーダーに「アガタ・ヌシ」(県主)という称号を与えた。ヘブル語でも、アグダと言えば集団の意味であり、ナシと言えば長の意味なのである(現代ヘブル語ではナシ・アグダ)。

ミカド

天皇を意味する「ミカド」(帝)は、ヘブル語で高貴なおかたを意味するミガドルに似ている。また天皇や神々は、「ミコト」という尊称をつけて呼ばれている。ヘブル語でマークートと言えば王国や王の意味である。

スメラ・ミコト

古事記や日本書紀で、天皇はみな「スメラ・ミコト」と呼ばれている。これは日本語として見ると、これといった意味がないが、「サマリヤの王」(北王国イスラエルの王)を意味するヘブル語「ショムロン・マークート」によく似ている。

ネギ

神道の神官のことを日本では昔から「ネギ」(禰宜)という。一方ヘブル語で「ナギッド」と言えば、長、つかさを意味する。日本では天皇や皇后の墓所のことを「ミササギ」(陵)という。一方ヘブル語で「ムトゥサガル」と言えば、死者を閉ざすの意味である。

カナン

また、イスラエルの地の古名「カナン」は、もともとヘブル語の「カネ・ナー」すなわち「葦・原」という言葉の合成語であり、そのために日本人の先祖は日本を「葦原(あしはら)」の国と呼んだのだと、考えた研究者もいる。

イワレ

古事記や日本書紀にはまた、イスラエルを想起させるような名が多く現れる。たとえば、「イワレ」(漢字では「伊波礼」または「磐余」と書き、奈良県桜井市から橿原市にかけての地の古称。また神武天皇の呼称)は、ヘブル語で「ヘブル」を意味する「イブリ」に似ている。

アスカ

同じく古代地名である「アスカ」(飛鳥、明日香。奈良県)の名は、「幕屋」を意味するヘブル語「ハスカ」に似ている。古代、アスカには、天皇の宮が置かれた。ある日本人学者は「アスカ」の語源は、「ア」が接頭語で「スカ」は住処の意味だと述べている。ヘブル語の「ハスカ」も、「ハ」は英語のtheに相当する接頭語であり、「スカ」は住処とか、幕屋、仮庵を意味する言葉なのである。(本からの引用は以上です。)

「似ている」をどう受け止めるか

もちろん似ているというだけで、断定することもできないと思いますが、そのような言葉が三千語も四千語もあるということになれば、簡単に否定することもできないと思います。また、日本人ではなくユダヤ人のトケイヤー氏が似ていると感じるのであれば、単にこじつけとも言えないように思います。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書はイスラエル人の歴史の記録であり、日本人と深い関係があると考えることができます。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を読んでみてください。

新約聖書 ルカによる福音書 1章57~66節

さてエリサベツは月が満ちて、男の子を産んだ。近所の人々や親族は、主が大きなあわれみを彼女におかけになったことを聞いて、共どもに喜んだ。八日目になったので、幼な子に割礼をするために人々がきて、父の名にちなんでザカリヤという名にしようとした。ところが、母親は、「いいえ、ヨハネという名にしなくてはいけません」と言った。

人々は、「あなたの親族の中には、そういう名のついた者は、ひとりもいません」と彼女に言った。そして父親に、どんな名にしたいのですかと、合図で尋ねた。ザカリヤは書板を持ってこさせて、それに「その名はヨハネ」と書いたので、みんなの者は不思議に思った。

すると、立ちどころにザカリヤの口が開けて舌がゆるみ、語り出して神をほめたたえた。近所の人々はみな恐れをいだき、またユダヤの山里の至るところに、これらの事がことごとく語り伝えられたので、聞く者たちは皆それを心に留めて、「この子は、いったい、どんな者になるだろう」と語り合った。主のみ手が彼と共にあった。

八日目の割礼

ユダヤ人の風習として、子供には生まれて八日目に割礼をし、名前をつけることが分かります。また、その名前は父親の名前をつけることも一般的であり、親族の中にない名前をつけることは普通ではなかったということも分かります。

ヨハネ

母親は「ヨハネ」という名前にしなければいけないと言いました。その名前はザカリヤが御使から言われた名前でした。妻エリサベツはなぜその名前を知っていたのでしょうか。御使が直接エリサベツに語ったかどうかは分かりません。少なくとも聖書にはそのような記述はありません。考えられることは夫ザカリヤから聞いていたということだと思います。ザカリヤは御使のこともエリサベツに伝えていたのではないでしょうか。そして、エリサベツも人間中心ではなく、神様を中心にして、御使の話を受け入れたのではないでしょうか。

人々は恐れた

どんな名にしたいのかと父親に合図で尋ねたとありますので、ザカリヤは耳も聞こえなかったのでしょう。ザカリヤが「その名はヨハネ」と書き、その途端に口が開けて、神様をほめたたえたので人々は恐れをいだいたとあります。年老いたザカリヤとエリサベツに子供が生まれたということは受け入れることができましたが、口がきけなくなったザカリヤの口が立ちどころに開いたという出来事は、人間的には受け入れられないことだったのか、または見えない神様の力を目の当たりに見て、恐れたのかもしれません。いずれにしても彼らは人間中心になっていたのではないでしょうか。大切なことは、人間中心ではなく、神様に目を留めて生きることだと思います。

いかがでしたか

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本書の目次

一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」

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