【日本とイスラエル】ダビデの星とカゴメ紋

日本とイスラエルの類似した風習について、日本ユダヤ教団のラビ(教師)として、日本に10年以上居住したことのあるマーヴィン・トケイヤー氏の著書「日本・ユダヤ封印の古代史」から紹介しています。

ダビデの星

今日のユダヤ人は、「ダビデの星」(六芒星)と呼ばれる三角形を二つ重ねた星のマークを、自分たちを表す印として用いている。しかし、ユダヤ人以外の民族においても、昔からこの形は、その幾何学的美しさから一つのデザインとして広く用いられていたのである。ダビデの星が公的にユダヤ人のマークとして一般に使用されるようになったのは、ようやく中世の終わり頃——17世紀になってからである。

カゴメ紋

三重県に「伊勢神宮」と呼ばれる、日本の皇室のために建てられた神社がある。その伊勢神宮の参道わきの灯籠すべてに「ダビデの星」そっくりのマークが刻まれている。日本人はそれを「カゴメ紋」と呼んでいる。それが竹製の籠の網目に似ているからである。伊勢神宮参道の灯籠自体は、戦後建てられ、寄贈者が伊勢神宮に奉納したものである。

「カゴメ紋」は本当に「ダビデの星」に由来するのか

日本では、非常に古い時代から、「カゴメ紋」や「麻の葉紋」など、ユダヤの「ダビデの星」の形によく似た六角形の家紋が用いられてきた。また日本では、ダビデの星によく似た形が、市のマークとしても使われている。しかし、これらは本当にユダヤの「ダビデの星」に由来するものなのか。

確かによく似ている

私が調べた限りでは、日本にあるカゴメ紋等のマークは、確かにユダヤのダビデの星によく似てはいるが、実際にユダヤと何らかの関係があるとは言い難い。これは、たとえば仏教の寺のマークとして使われている万字(卍)が、ナチスドイツの鉤十字に似ているから寺はナチスだ、と言えないのと同様である。

メノラはイスラエル人だけのマークと言える

単に似ているだけでは証拠にならない。日本のカゴメ紋にしても、菊の紋にしても、それらは古代イスラエルと古代日本との関わりを示す決定的な証拠ではない。またダビデの星も、菊の紋も、聖書には出てこない。もし古代イスラエル人が日本に来たことを証明する何かのデザインがあるとすれば、それはやはりメノラ(ユダヤ神殿の七枝の燭台)であろう。これはイスラエル人だけが持つデザイン、マークなのである。(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は神様を中心にして生きようとしたイスラエル人の記録です。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きる日本人として聖書を読んでみてください。

新約聖書 ルカによる福音書 4章14~30節

それからイエスは御霊(みたま)の力に満ちあふれてガリラヤへ帰られると、そのうわさがその地方全体にひろまった。イエスは諸会堂で教え、みんなの者から尊敬をお受けになった。

それからお育ちになったナザレに行き、安息日にいつものように会堂にはいり、聖書を朗読しようとして立たれた。すると預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を出された、

「主の御霊がわたしに宿っている。
貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために、
わたしを聖別してくださったからである。
主はわたしをつかわして、
囚人が解放され、盲人の目が開かれることを告げ知らせ、
打ちひしがれている者に自由を得させ、
主のめぐみの年を告げ知らせるのである」。

イエスは聖書を巻いて係りの者に返し、席に着かれると、会堂にいるみんなの者の目がイエスに注がれた。そこでイエスは、「この聖句は、あなたがたが耳にしたこの日に成就した」と説きはじめられた。

すると、彼らはみなイエスをほめ、またその口から出て来るめぐみの言葉に感嘆して言った、「この人はヨセフの子ではないか」。そこで彼らに言われた、「あなたがたは、きっと『医者よ、自分自身をいやせ』ということわざを引いて、カペナウムで行われたと聞いた事を、あなたの郷里のこの地でもしてくれ、と言うであろう」。

それから言われた、「よく言っておく。預言者は、自分の郷里では歓迎されないものである。よく聞いておきなさい。エリヤの時代に、三年六か月にわたって天が閉じ、イスラエル全土に大ききんがあった際、そこには多くのやもめがいたのに、エリヤはそのうちのだれにもつかわされないで、ただシドンのサレプタにいるひとりのやもめにだけつかわされた。

また預言者エリシャの時代に、イスラエルには多くのらい病人がいたのに、そのうちのひとりもきよめられないで、ただシリヤのナアマンだけがきよめられた」。会堂にいた者たちはこれを聞いて、みな憤りに満ち、立ち上がってイエスを町の外へ追い出し、その町が建っている丘のがけまでひっぱって行って、突き落そうとした。しかし、イエスは彼らのまん中を通り抜けて、去って行かれた。

その地方に広まったイエスのうわさ

イエスは諸会堂で教え、人々はその教えに感嘆し、そのうわさがその地方全体に広まって行きました。このイザヤの預言はイスラエルの回復の預言だと思われますが、イエスは今日成就したと言われました。神様を離れ、苦しみの中に置かれていたイスラエルですが、神様に立ち返る時が来たということを言っているのではないでしょうか。

神様を中心にすること

しかし、イエスの故郷であるナザレの人々は、イエスはヨセフの子にすぎないということで、その言葉に心を開かず、神様を中心にしませんでした。しかし、大切なことは自分の考えを中心にするのではなく、神様を中心にすることではないでしょうか。イスラエル人でなかったにもかかわらず、サレプタのやもめもシリヤのナアマンも自己中心を退け、神様の前に遜り、神様を中心にした人たちだったのだと思います。

いかがでしたか

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」