【日本人と日本文化】最もスピリチュアリティーに近い人

「日本人は一人ひとりの心の中に際限なく広い自然を持っている」と語るのは、日本滞在三ヶ月のオーストラリア人、グレン・ジンカルム・ドランさん。加藤恭子編「続私は日本のここが好き!外国人43人が深く語る」からご紹介いたします。

都会での息苦しさ

私は今回初めて日本に来ましたが、父から同じ種族(アボリジニ)のようだと聞かされていたせいか、日本に降り立ったとき「懐かしい」と感じました。しかし、二、三日滞在するうちに、自然がなく、狭く閉ざされた感じのする日本に息苦しさを覚えるようになりました。

日本人のスピリチュアリティー

都会での息苦しさを感じた私は、東大寺、法隆寺、平等院を訪ねてみました。そこで、雄大な古代の日本人の「スピリチュアリティー」に出会い驚きました。そしてどうやらその精霊を、今を生きる日本人たちは受け継いでいることにも気付きました。なぜ、このまったくといってよいほど自然のない日本で、人々はそれを持ち続けられるのか。私はその答えを見つけたいと思いました。

すべての日本人が持つ心の中の自然

多くの日本人と交流を重ねるうち、私は答えを見つけました。日本人は一人ひとり心の中に際限なく広い自然を持っているのでした。それは特別な人だけにあるのではなく、すべての日本人、もちろんこれを読んでいるあなたの心にも、広がっているものなのです。

その心が目覚める瞬間

しかし、残念なことに、多くの日本人は、まるでその心に分厚いコートを着ているかのようです。何かのきっかけで、ひとたびそのコートを脱ぐことができたなら、真夏の大きなひまわりのような花を咲かせます。それはまさに〝アボリジニ愛〟と根を同じくするものであり、人間を含む自然界のあらゆるものは同じ生命力を分け合っているという世界観が、目覚める瞬間でもあるのです。

最も「スピリチュアリティー」に近い

欧米人はとてもこうはいきません。自分本位です。日本人の「和」の感覚など、到底持ちえていません。日本人は、心をオープンにするきっかけさえあれば、簡単に道が開けます。日本人は世界で最も「スピリチュアリティー」に近い人間だと感じます。

日本人の心に敬意を表したい

確かに、オーストラリアの自然は広大です。しかし、それよりももっと大きな無限の自然を日本人は心に抱えているのです。すべての日本人に心からの敬意を表したい。(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本人の文化、伝統、習慣、信仰、国民性のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、本当の日本人の心を知るために聖書を読んでみてください。

新約聖書 ルカによる福音書 17章22~37節

それから弟子たちに言われた、「あなたがたは、人の子の日を一日でも見たいと願っても見ることができない時が来るであろう。人々はあなたがたに、『見よ、あそこに』『見よ、ここに』と言うだろう。しかし、そちらへ行くな、彼らのあとを追うな。いなずまが天の端からひかり出て天の端へとひらめき渡るように、人の子もその日には同じようであるだろう。

しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない。そして、ノアの時にあったように、人の子の時にも同様なことが起るであろう。ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていたが、そこへ洪水が襲ってきて、彼らをことごとく滅ぼした。

ロトの時にも同じようなことが起った。人々は食い、飲み、買い、売り、植え、建てなどしていたが、ロトがソドムから出て行った日に、天から火と硫黄とが降ってきて、彼らをことごとく滅ぼした。

人の子が現れる日も、ちょうどそれと同様であろう。その日には、屋上にいる者は、自分の持ち物が家の中にあっても、取りにおりるな。畑にいる者も同じように、あとへもどるな。ロトの妻のことを思い出しなさい。自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである。

あなたがたに言っておく。その夜、ふたりの男が一つ寝床にいるならば、ひとりは取り去られ、他のひとりは残されるであろう。ふたりの女が一緒にうすをひいているならば、ひとりは取り去られ、他のひとりは残されるであろう。〔ふたりの男がおれば、ひとりは取り去られ。他のひとりは残されるであろう〕」。

弟子たちは「主よ、それはどこであるのですか」と尋ねた。するとイエスは言われた、「死体のある所には、またはげたかが集まるものである」。

人の子の日

イエスは弟子たちに「人の子の日」について語られました。「人の子」とは旧約の預言者たちが預言したメシヤのことであり、イエスご自身のことを指していると考えられます。メシヤはいなずまのように、誰の目にもそれと分かる形で来るから、人に惑わされないようと教えられています。

まず苦しみを受ける

その前に、まずメシヤは苦しみを受けると言っています。それは十字架の死を指しているのでしょう。それがメシヤだということでしょう。その後、再びメシヤが来る日について教えられているのだと思います。それは突然にやって来ると教えられているようです。その日には自分で自分を救おうとするのではなく、ただ神を求めることが大切だということではないでしょうか。

それはどこであるのですか

これはどういう意味の質問なのでしょうか。これは全世界に臨む出来事ではないでしょうか。弟子たちは地球のどこかで起る出来事だと考えたのでしょうか。イエスの答えは何を意味しているのでしょうか。

いかがでしたか

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」