日本とイスラエルに関連する事柄について、畠田秀生著「日本は聖書の国だった!」からご紹介いたします。
日本人がイスラエルであるもう一つの証拠
世界中の人々も、もちろん本人である日本人も、日本人がイスラエルの民であるなどとんでもない、と考えているよりも想定外であろう。なんと、そのように言っている所がそうなのだ、とホセアが述べているのだ。
ホセアの預言
(旧約聖書ホセア書)1章10節をもう一度引用する。「彼らは、『あなたがたはわたしの民ではない。』と言われた所で、」。そして11節「ユダの人々とイスラエルの人々は、一つに集められ、彼らは、ひとりのかしらを立てて、国々から上って来る。イズレエルの日は大いなるものとなるからである。」
イスラエル国に匹敵する国
この国々と訳されている箇所は、直訳では「国」という単数形である。今のパレスチナのユダヤ人の国に匹敵し、かつそれ以上の規模をもつ国でなくてはならない。二部族と十部族を単純に比較すれば五倍の人口をもつ国だ。
その国の条件
歴史において同じように古く、滅亡以前の姿がどこかに残存していなくてはならない国、風習、習慣が似ている国、そして国の象徴として王を戴いている国、聖書の預言が成就している国でなければならない。
内村鑑三の言葉
かつて内村鑑三が「日本の天職」と題して叙述したなかに、詩篇100篇3節を引用し語った。「あなたの民は、あなたの戦いの日(勢力の日)に、・・・夜明け前から喜んで仕える。」とある「あなた」はキリストをさしている。最後に勢力を世にふるわれる時には、彼の民は聖なるうるわしき義の衣を着て、心より喜びて、おのれをささげ、その命(めい)に当たるとのことである。
困難の後の回復
そして彼キリストは「朝の胎より出づる壮き者の露を持てり」(新改訳=夜明け前から・・・あなたの若者は、あなたにとっては、朝露のようだ)という。「朝の胎=夜明け前」とは「日を産み出す所」の意味であって、極東の国をさして言う。彼の聖旨を汲んでこの極東の国、日出づる国の弟子たちが、熱心熱意をもって仕えると解釈して少しも無理はない。・・・日本国の真の霊的国家使命の隆起は彼が悲境の極みに達したあとにあることを。
日本の国難
多くの人類学者によって、イスラエルの血を交えたる民なりと称せらるる日本人の世界的勢力もまた、亡国とまでは至らざるも、その第一等国たるの地位をなげうちて後のことであると思う。神が今、日本国をむち打ちたまいつつあるのは、この準備のためではあるまいか。
事実となる日
この内村のことばが1945年8月6日と9日に広島と長崎に投下された原子爆弾の悲惨さと直後に味わった敗戦の惨劇後にやってくるとは、彼もそこまで読んでいたのではなかったかもしれないが、事実となる日は近い。彼は付録として続ける。
日本人の宗教心
「日本人敬神にユダヤ人的の熱誠あるは、人のよく知るところである。・・・西洋の宣教師が日本人を教化するあたわざるは、日本人に宗教心が不足するからではない。それが西洋人以上にはるかに多いからである。」(1924年11月「聖書之研究」)(本からの引用は以上です。)
聖書を読みましょう
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本人の文化、伝統、習慣、信仰、国民性に深い関係があります。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を読んでみてください。
新約聖書 ルカによる福音書 17章1~10節
イエスは弟子たちに言われた、「罪の誘惑が来ることは避けられない。しかし、それをきたらせる者は、わざわいである。これらの小さい者のひとりを罪に誘惑するよりは、むしろ、ひきうすを首にかけられて海に投げ入れられた方が、ましである。
あなたがたは、自分で注意していなさい。もしあなたの兄弟が罪を犯すなら、彼をいさめなさい。そして悔い改めたら、ゆるしてやりなさい。もしあなたに対して一日に七度罪を犯し、そして七度『悔い改めます』と言ってあなたのところへ帰ってくれば、ゆるしてやるがよい」。
使徒たちは主に「わたしたちの信仰を増してください」と言った。そこで主が言われた、「もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、『抜け出して海に植われ』と言ったとしても、その言葉どおりになるであろう。
あなたがたのうちだれかに、耕作か牧畜かをする僕(しもべ)があるとする。その僕が畑から帰って来たとき、彼に『すぐきて、食卓につきなさい』と言うだろうか。かえって、『夕食の用意をしてくれ。そしてわたしが飲み食いをするあいだ、帯をしめて給仕をしなさい。そのあとで、飲み食いをするがよい』と、言うではないか。
僕が命じられたことをしたからといって、主人は彼に感謝するだろうか。同様にあなたがたも、命じられたことを皆してしまったとき、『わたしたちはふつつかな僕です。すべき事をしたに過ぎません』と言いなさい」。
誘惑
イエス・キリストでさえ誘惑を受けたことが聖書には記されているのだから、私たちが罪の誘惑を受けることは避けられないだろう。しかし、人を罪に誘惑してはならないと教えられている。誘惑する者とはサタン(悪魔)のことを言っているのかもしれない。
赦し
続いて人を赦すことについて教えられている。七度とは象徴的な数字であって、何度でも赦しなさいと言うことだろう。それを聞いて使徒たちは「信仰を増してください」と言った。とても無理だと思ったのかもしれない。しかし、それは信仰の問題ではない。「赦せ」と命じられているのだから、ただ「はい」と言って従うこと。それは当たり前のことであって、何か特別なことではないと教えられているのだろう。
いかがでしたか
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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」