【日本人と日本文化】世界人になる資質をもった人々(2)

「〝世界人〟(A Citizen of the World)になるための重要な資質を、日本の人々は伝統的にたくさん持っていると思います。」と語るのは、日本滞在8年のフランス人、ロイック・レトレさん。加藤恭子編「続・私は日本のここが好き!外国人43人が深く語る」からご紹介いたします。

日本人の美に対するこだわり

三つ目は美に対するこだわりです。プロなみの完成度、完全を求める姿勢が一般的に高く、日常の基本的なものの中にも自分のスタイルを守ろうという意識を持っていること。

完璧を追求する

私のご近所さんは、ご自分の家の庭を、四季折々の花でアレンジしておられるのですが、それが素人とは思えない奥深い趣をもっているのです。日本には、小さなことや日々つきあうものに、情熱を注ぎ完璧を追求する人がたくさんいる。

異国に住むということ

ひとつの文化に長期間浸っていると、それがなんであれ、角度を変えて眺めてみようという気がおこらなくなりがちです。異国に住むということは、自動的に身についた反応とか習慣とか判断をいったん捨てて、それらを見直し再構築する作業を、自分自身にさせることでもあります。

ぶれいない自分

この作業は自分のアイデンティティーを明確にしてくれます。こうしてぶれない自分を持つと、自信と余裕が生まれ、違うものを楽しめます。他者を受け入れて異なるものを学ぶけれど、自分の個性も忘れず大切にするからです。

どことも違う国

〝世界人〟(A Citizen of the World)になるための重要な資質を、日本の人々は伝統的にたくさん持っていると思います。私にとって、日本という国は、日本の人々は、私が迷子になった時に手を差し伸べてくれたように、私が本当の〝A Citizen of the World〟に近づいていくためのヒントを日々与え続けてくれている、どことも違う国だと思っています。(本からの引用は以上です。)

人としての普遍的な価値観を持つ日本人

それは日本人の中に人としての普遍的な価値観があるからではないでしょうか。それは自己中心的でなく、神を心の中心に据え、真理を中心に生きようとする日本人の国民性であり、古代ユダヤ人によってもたらされたイエスの教え、聖書の教えに基づくものだと思います。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本人の国民性のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人の心の原点を知るために聖書を読んでみてください。

新約聖書 ヨハネによる福音書 2章12~25節

そののち、イエスは、その母、兄弟たち、弟子たちと一緒に、カペナウムに下って、幾日かそこにとどまられた。

さて、ユダヤ人の過越の祭が近づいたので、イエスはエルサレムに上られた、そして牛、羊、はとを売る者や両替する者などが宮の庭にすわり込んでいるのをごらんになって、なわでむちを造り、羊も牛もみな宮から追いだし、両替人の金を散らし、その台をひっくりかえし、はとを売る人々には「これらのものを持って、ここから出て行け。わたしの父の家を商売の家とするな」と言われた。

弟子たちは、「あなたの家を思う熱心が、わたしを食いつくすであろう」と書いてあることを思い出した。そこで、ユダヤ人はイエスに言った、「こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せてくれますか」。イエスは彼らに答えて言われた、「この神殿をこわしたら、わたしは三日のうちに、それを起すであろう」。

そこで、ユダヤ人たちは言った、「この神殿を建てるのには、四十六年もかかっています。それだのに、あなたは三日のうちに、それを建てるのですか」。イエスは自分のからだである神殿のことを言われたのである。それで、イエスが死人の中からよみがえったとき、弟子たちはイエスがこう言われたことを思い出して、聖書とイエスのこの言葉とを信じた。

過越の祭の間、イエスがエルサレムに滞在しておられたとき、多くの人々は、その行われたしるしを見て、イエスの名を信じた。しかしイエスご自身は、彼らに自分をお任せにならなかった。それは、すべての人を知っておられ、また人についてあかしする者を、必要とされなかったからである。それは、ご自身人の心の中にあることを知っておられたからである。

わたしの父の家を商売の家とするな

多くのユダヤ人がエルサレム神殿に参拝に訪れたのでしょう。そこでは神への捧げものが売られていました。イエスはそれらを追い出しました。神は人々に、神に従った幸いな人生を生きるようにと命じたのであって、決してこのような宗教をするようにと命じた訳ではないということでしょう。しかも、それは商売になっていたのです。

イエスの名を信じた

イエスの名を信じたとは、イエスの権威、その教えを受け入れたということでしょう。しかしイエスは彼らに自分を任せなかったとは、どういうことなのでしょうか。多くの人がイエスの教えを受け入れたから、イエスは正しいということではないということでしょう。真理は真理であり、人が認めるかどうかということではないでしょう。それぞれの良心で確かに判断できることではないでしょうか。

いかがでしたか

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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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