【日本とイスラエル】ダビデ王と崇神天皇

日本とイスラエルに関連する事柄について、アビグドール・シャハン著「古代日本に辿り着いたユダヤ人・失われた十部族の足跡~イスラエルの地から日本まで」からご紹介いたします。

崇神天皇の48年

日本の伝承は崇神天皇の48年にその皇子を皇位継承者と定めた。聖書はダビデの在位年数について二つの伝承を残しているが、その違いは興味深い。旧約聖書サムエル記下を読むと、正確に「七年六カ月の間ヘブロンでユダを、三十三年の間エルサレムでイスラエルとユダの全土を統治した」と書かれている。しかし、旧約聖書列王記上には「ダビデがイスラエルの王であった期間は四十年に及んだ。彼はヘブロンで七年、エルサレムで三十三年間王位にあった」と書かれており、在位期間が六か月少なくなっている。旧約聖書歴代誌上も彼の在位期間については正確な記録を残さず、次のように書いている。「彼がイスラエルの王であった期間は四十年に及んだ。ヘブロンで七年、エルサレムで三十三年間王位にあった」。

40年と48年

ではなぜ日本の伝承は48年というおかしな数字になったのであろう。まず興味深いのはサムエル記、列王記、歴代誌に残されているすべての記事において、その前半部分は共通しているということである。つまり、サムエル記上では「ダビデは三十歳で王となり、四十年間王位にあった。七年六カ月の間ヘブロンでユダを、・・・統治した」。列王記上では「ダビデがイスラエルで王であった期間は四十年に及んだ。彼はヘブロンで七年、・・・王位にあった」。歴代誌上では「彼がイスラエルの王であった期間は四十年に及んだ。ヘブロンで七年、・・・王位にあった」。

48年となった経緯

歴代誌上は「ダビデ王の事績は、初期のことも後期のことも、『先見者サムエルの言葉』『預言者ナタンの言葉』、および『先見者ガドの言葉』に記されている。」と指摘している。つまり、聖書以外にも多くの書物がこの偉大なるイスラエルの王の物語を書き残していたということを聖書は明白に証言しているのである。ここに記された書物のうちいずれかの書から、前述した一節の後半が抜け落ちて、「彼がイスラエルの王であった期間は四十年、ヘブロンでは七年、王であった」という文章になってしまった可能性はないだろうか。つまり合計四十七年としたのである。さらに「七年と六カ月」というダビデがヘブロンを治めた期間を、聖書伝承の一部が切り下げて「七年」としたのとは逆に、繰り上げて「八年」にしたのではないか。そうすればダビデ王の在位は合計四十八年ということになる。

王国の創健者

日本書記に残された伝承は、この年数を採用していたイスラエルの伝承を根拠としているのである。日本で崇敬を集める崇神天皇は、日本書紀によると「ヤマト王国の創健者」(御肇国天皇)との称号で呼ばれた。この敬愛の情を込めた呼び名はサウル王の方が先に王であったにも関わらず、イスラエル王国の創健者ダビデ王にも与えられている。(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書を読みましょう。聖書は日本の歴史のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を開くとき、そこに古くて新しい発見があることでしょう。

新約聖書 マタイによる福音書 18章21~35節

そのとき、ペテロがイエスのもとにきて言った、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか」。イエスは彼に言われた、「わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい。

それだから、天国は王が僕たちと決算をするようなものだ。決算が始まると、一万タラントの負債のある者が、王のところに連れられてきた。しかし、返せなかったので、主人は、その人自身とその妻子と持ち物全部とを売って返すように命じた。

そこで、この僕はひれ伏して哀願した、『どうぞお待ちください。全部お返しいたしますから』。僕の主人はあわれに思って、彼をゆるし、その負債を免じてやった。

その僕が出て行くと、百デナリを貸しているひとりの仲間に出会い、彼をつかまえ、首をしめて『借金を返せ』と言った。そこでこの仲間はひれ伏し、『どうか待ってくれ。返すから』と言って頼んだ。しかし承知せずに、その人をひっぱって行って、借金を返すまで獄に入れた。

その人の仲間たちは、この様子を見て、非常に心をいため、行ってそのことをのこらず主人に話した。そこでこの主人は彼を呼びつけて言った、『悪い僕、わたしに願ったからこそ、あの負債を全部ゆるしてやったのだ。わたしがあわれんでやったように、あの仲間をあわれんでやるべきではなかったか』。

そして主人は立腹して、負債全部返してしまうまで、彼を獄吏に引きわたした。あなたがためいめいも、もし心から兄弟をゆるさないならば、わたしの天の父もまたあなたがたに対して、そのようになさるであろう』。

何度までゆるすべきか

「七」という数字はイスラエル文化の中では「完全」を表すそうです。七度まででも、ペテロとしては大きな数を言ったつもりだったのだと思います。しかし、イエスの答えは七の七十倍、それは無限にゆるせという意味だろうと思います。

一万タラントの負債

一タラントは六千デナリ。一デナリ一万円とすると、一万タラントは六千億円。それは一生働いても返すことのできない額の負債を表していると考えられます。もちろん、本来は返さなければならない負債です。しかし、天国の王、つまり神はそのような私たちが返さなければならない負債、返すことができない負債を全額、あわれに思ってゆるしたというたとえです。にもかかわらず、百万円の負債をゆるさないとしたら、何とあわれみのない人でしょうか。あり得ないことでしょう。そんな人は神からゆるされないでしょう。確かに百万円は小さな額ではありません。しかし、自分がどれだけゆるされたかを考えるなら、ゆるせない罪はないということをイエスは教えているのではないでしょうか。

神のあわれみ

私たちはそれほど大きな神のあわれみをいただいていることを知るべきでしょう。それが分かれば、人に対して、どうしてあわれみの心を持つことができないということがあるでしょうか。自分に注がれている神のあわれみの大きさに目を留めること。それが神を中心にした生き方ではないでしょうか。

いかがでしたか

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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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