【日本とイスラエル】お祓い、厄払い

日本とイスラエルに関連する事柄について、アビグドール・シャハン著「古代日本に辿り着いたユダヤ人・失われた十部族の足跡~イスラエルの地から日本まで」からご紹介いたします。

お祓い

場所を悪い穢れた霊から清める儀式。この儀式は神殿、家や事務所を建てる土地、また悪い霊が取りついたり、事故や災害があったりした場所を清めるために行われる。

祓串(はらえぐし)

この儀式は聖なる木を手に持った祭司によってなされる。その木は「祓串(はらえぐし)」と呼ばれ、木の棒に白い布か白い紙でできた房をつけたものである。神道の祭司は清めたい場所の上で、この棒を左から右に振り、その場所に清い水を振りかける。これは正に旧約聖書民数記で神が清めの方法として命じた通りのやり方である。

厄払い

穢れた場所や人を清めるお祓いと同様、神道の祭司が悪い霊を追い払う儀式である。より正確に言うと、この儀式は悪い霊を追い払うものではなく、悪い霊が人や場所に災いをもたらさないように、神に祈願する儀式である。

ヤ・クヴァ・ライ

この儀式の名前「ヤ・クヴァ・ライ」をヘブライ語で解釈すると、「主は悪い霊を呪われる」という意味になる。この儀式への信仰がどれほど日本人の中に浸透しているかを表す実例をあげよう。1978年初頭、東京の高島平という町の住民が次々にある高層住宅から飛び降りて自殺するという事件が続いた。そこでその年の6月28日、神道の祭司によって厄払いの儀式が執り行われた。その儀式に出席した人々は、これで自殺はなくなると確信を持ったのである。

ウリムとトンミム

祭司が神の意志を伺うために使用した「ウリムとトンミム」の名残が、古代日本では「タマ」という言葉になって残されていた。これらは祭司の胸当てにはめ込まれていた宝石で、祭司が何か神様に問う時には、この石でその答えを受け取るくじの役割をしていたのである。ヘブライ語では「トンミム」という複数形でしか残されていないが、古代日本語では単数形である「タマ」という言葉が残ったのであろう。

タマ

祭司がトンミムを使う方法は霊的であり神秘的であった。日本の古代日本語学者には、(「タマ」という言葉の)「宝石」と「霊魂」の二つの意味の繋がりがはっきりしない。ウリムとトンミムは「宝石」であり、同時に「霊的、預言的」な役割を持つものであった。(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本の歴史のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を開くとき、そこに古くて新しい発見があることでしょう。

新約聖書 ヨハネによる福音書 7章10~13節

しかし、兄弟たちが祭に行ったあとで、イエスも人目にたたぬように、ひそかに行かれた。ユダヤ人らは祭の時に、「あの人はどこにいるのか」と言って、イエスを捜していた。

群衆の中に、イエスについていろいろとうわさが立った。ある人々は、「あれはよい人だ」と言い、他の人々は、「いや、あれは群衆を惑わしている」と言った。しかし、ユダヤ人らを恐れて、イエスのことを公然と口にする者はいなかった。

広まっていたイエスのうわさ

イエスを通して超自然的な神の力が働き、そのうわさが広まっていたことが窺えます。ユダヤ教三大祭の一つである仮庵の祭にはユダヤ人たちはエルサレムの神殿に参拝に行く風習がありました。祭に集まる人々の間でもイエスはどこにいるのかとうわさになっていたようです。

公然と口にする者はいなかった

しかし、人々の悪を指摘するイエスを面白く思わないユダヤ人たちは、イエスを憎み、イエスを殺そうと考えていました。そのような人々を恐れて、人々はイエスのことを口にしなかったと記されています。しかし、それは人間を中心にした生き方でしょう。結局は自己中心です。イエスは人や自分を中心にするのではなく、神を中心にして生きることが永遠の命であり、救いだと教えたのです。何が正しいことなのか。それは神に目を留めるならば、自ずと明らかになることでしょう。人の目を恐れて、正義を曲げて生きるのではなく、神に目を留めて正しく生きることが大切です。

いかがでしたか

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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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