日本とイスラエルに関連する事柄について、アビグドール・シャハン著「古代日本に辿り着いたユダヤ人・失われた十部族の足跡~イスラエルの地から日本まで」からご紹介いたします。
日本とイスラエルの祭
神道の祭には喜び、明るさ、陽気さ、またユーモアのオーラが満ちている。神道の主な祭りの時期はモーセの律法に定められているイスラエルの祭りの時期と一致している。第二神殿崩壊と長い流浪という辛い出来事を通過した今日のユダヤ教の祭りが悲しみと深刻さに包み込まれてしまったのとは対照的である。自ら耕す土地を持たなかったユダヤ人たちは自由の民として過ごした過去の記憶と郷愁とを育むことしかできなかったのである。
日本に来た十部族の祭
しかし、日本の土地を踏んだ後のイスラエル十部族の子孫たちはそうではなかった。彼らが日本の地を手に入れて、自分たちの国にしてからというもの、その地は異邦の侵略者に侵されることはなかった。彼らは自由な民族性と自然との一体感を育んできた。彼らはまた、かつて父祖たちが故郷で生活していた時と同様の祭りで、その生活の喜びや幸福感を表したのである。
ユダヤ教三大祭
旧約聖書レビ記23章にはイスラエルの重要な祭りについて、いつ、どのように行うのか細かい規定が書かれている。エルサレムへの巡礼が義務付けられている三つの重要な祭りは、過越の祭り、七週の祭り、そして仮庵の祭りである。
十部族の祭
イスラエル十部族はイスラエル王国が二つに分裂してから、祭りの守り方を変えた。北王国の王たちによって二百年の間、人々はエルサレムに詣でることを禁じられ、ベテルとダンに建てられた神殿だけで彼らは祭りを行った。しかしこのような変化にも関わらず、イスラエルの地で行われている祭りと日本の神道で行われている祭りとは驚くほど似ているのである。
ユダヤ暦
さらに驚かされることは、日本の祭りは仏教の影響で多くの変化を経ているにも関わらず、神道の祭りの多くがユダヤ暦に従って行われているように思われることである。
祈年、神嘗祭
イスラエルの地で、年に三度エルサレムへの巡礼を伴う祭りが行われるのと同様、神道でも今日に至るまで、年に三度、神道の最も古い神殿である伊勢神宮に詣でる祭りがある。春には祈年(としごい)祭、十月十五日~十七日には神嘗(かんなめ)祭が行われるが、これらの祭りでは最高神に感謝の供え物が捧げられる。
新嘗祭
そして十一月二十三~二十四日に行われる新嘗(にいなめ)祭では、神宮の大祭司が多くの会衆の中で、初穂を最高神への供え物として捧げる。日本では今日もなお、毎年七百万人を超す人々が、これら三度の祭りの時を中心に、伊勢神宮に詣でるのである。
マー・ツーリー
エルサレムの神殿から十部族を引き離したネバトの子ヤロブアムは、彼の時代から約二千九百三十年後になって、なおその子孫らが、彼が引き離したエルサレムの神殿を象徴する宮に詣で続けていることを知れば、どれほど驚くであろうか。これら重要な祭儀のことを日本では「祭り」と呼ぶ(「マー・ツーリー」はヘブライ語で「なんと、わが岩(神)は!」の意味になる。」)。(本からの引用は以上です。)
聖書を読みましょう
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本の歴史のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を開くとき、そこに古くて新しい発見があることでしょう。
新約聖書 ヨハネによる福音書 6章41~51節
ユダヤ人らは、イエスが「わたしは天から下ってきたパンである」と言われたので、イエスについてつぶやき始めた。そして言った、「これはヨセフの子イエスではないか。わたしたちはその父母を知っているではないか。わたしは天から下ってきたと、どうして今いうのか」。
イエスは彼らに答えて言われた、「互につぶやいてはいけない。わたしをつかわされた父が引きよせて下さらなければ、だれもわたしに来ることはできない。わたしは、その人々を終わりの日によみがえらせるであろう。
預言者の書に、『彼らはみな神に教えられるであろう』と書いてある。父から聞いて学んだ者は、みなわたしに来るのである。神から出た者のほかに、だれかが父を見たのではない。その者だけが父を見たのである。
よくよくあなたがたに言っておく。信じる者には永遠の命がある。わたしは命のパンである。あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが、死んでしまった。しかし、天から下ってきたパンを食べる人は、決して死ぬことはない。
わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは、世の命のために与えるわたしの肉である」。
天から下ってきた生きたパン
イエスは自分のことを「天から下った」と言いました。それは神から特別な権威を与えられた「メシヤ」であるということを言っているのだと思います。それを受け入れることができないユダヤ人たちもいましたが、イエスは「父」、つまり神が引きよせてくれるものだから、つぶやいてはいけないと彼らに言いました。彼らは神を受け入れようとしていないということなのだと思います。
彼らはみな神に教えられる
人の教えではありません。自己中心を退け、神に立ち返り、それぞれが皆神から直接聞いて生きるのです。それがイエスが教えた生き方です。
信じる者
信じる者には永遠の命があるとイエスは教えました。それはキリスト教徒になるということではありません。イエスの教えを受け入れ、自己中心を退け、神に立ち返り、神の御心に従って生きるということです。それが「永遠の命」だとイエスは教えたのです。
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる
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