【日本とイスラエル】秦氏とイスラエルの関係

秦氏は小国ながらキリスト教国だったと言われるクンユエから来たユダヤ人であり、イエスの直接の弟子たちの末裔だったのではないかと私は考えていますが、落合莞爾氏は十支族ユダヤを含むシルクロード由来の様々な諸族の混成だったと指摘しています。今日も落合莞爾著「天孫皇統になりすましたユダヤ十支族」からご紹介いたします。

秦氏

結論から申しますと、「秦人(はたびと)」とはシルクロード由来の諸族が混成した今日の総合商社のような職業集団だったのです。族長の「秦君(はたのきみ)」の素性は「呂(りょ)」を姓とするウバイド・コスモポリタンですが、詳しいことはあとで述べます。

呂氏とユダヤ

呂氏秦君が率いる集団の中核はむろん呂氏一族で、これに北方騎馬民系のソグド人が混じった集団を総称して「秦人」と呼びます。呂氏やソグド人のなかに「十支族ユダヤ」が潜入していたのは、宿主と寄生体の関係として自然なことですが、そもそもこのことが、世人が呂氏とユダヤを混同する根本原因をなしたのです。その結果、野史界のあらゆる史家や研究家を誤らせ、学校史家もその誤りに陥って思考停止しているのです。

宇佐氏と同族になる

ソグド人に潜入していた「十支族ユダヤ」は、秦人集団に混じって豊国宇佐郷に到来し、在地の縄文系海人の国造宇佐氏と婚姻を重ねて実質的に同族となり、宇佐氏を称したのです。表札は宇佐氏でも現実の住人は「十支族ユダヤ」ですが、上田アヤタチ伝承では、宇佐氏もアヤタチと称していますから、いわば「宇佐アヤタチ」です。

丹後アヤタチ

「上田アヤタチ伝承」の伝える史実の真相は、結局ことば通りではありません。豊後海部氏から伴造のカバネを家系図と家伝ぐるみ譲り受けた丹後アヤタチは、その中にあった山岳修験の実績を自家の経歴として、深山でユダヤ錬金術に励んだと、子孫に吹聴したものと思われます。(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は古代日本に渡来したイスラエル民族の書物であり、日本人の国民性にも影響を与えたと考えられます。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を開くとき、そこに古くて新しい発見があることでしょう。

新約聖書 ヨハネによる福音書 14章12~19節

その翌日、祭にきていた大ぜいの群衆は、イエスがエルサレムにこられると聞いて、しゅろの枝を手にとり、迎えに出て行った。そして叫んだ、

「ホサナ、主の御名によってきたる者に祝福あれ、イスラエルの王に」。

イエスは、ろばの子を見つけて、その上に乗られた。それは「シオンの娘よ、恐れるな。見よ、あなたの王がろばの子に乗っておいでになる」と書いてあるとおりであった。

弟子たちは初めにはこのことを悟らなかったが、イエスが栄光を受けられた時に、このことがイエスについて書かれてあり、またそのとおりに、人々がイエスに対してしたのだということを、思い起こした。

また、イエスがラザロを墓から呼び出して、死人の中からよみがえらせたとき、イエスと一緒にいた群衆が、そのあかしをした。群衆がイエスを迎えに出たのは、イエスがこのようなしるしを行われたことを、聞いていたからである。

そこで、パリサイ人たちは互に言った、「何をしてもむだだった。世をあげて彼のあとを追って行ったではないか」。

この祭とは、ユダヤ教三大祭のひとつ、過越の祭のことです。日本で言えば初詣のようなものでしょうか。ユダヤ人は皆、エルサレムの神殿に参拝にやって来ました。イエスがこの祭に来ると聞いて、人々はイエスをイスラエルの王と呼んで讃えた様子が記されています。それはイエスを通して超自然的な神の力が働き、死人が生き返るということまで起っていたことを聞いて、人々はイエスこそ旧約の預言者たちが預言したメシヤと考えたからではないでしょうか。パリサイ人とはユダヤ教の学者たちで、イエスを亡き者にしたいと考えていましたが、人々がイエスをイスラエルの王と呼んで讃える様子を見て、なすすべもないと感じた様子が記されています。

いかがでしたか

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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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