【日本人と日本文化】国体の本義

「高校生のためのおもしろ歴史教室」というウェブサイトを興味深く読ませていただいております。今日も「神国日本」という項から一部をご紹介させていただきます。 ぜひ、著者とお会いしてお話ししたいと願っています。

「国体の本義」

「国体の本義」とは、ウィキペディアによると、「 1937年(昭和12年)に、「日本とはどのような国か」を明らかにしようとするために、当時の文部省が学者たちを結集して編纂した書物である。神勅や万世一系が冒頭で強調されており、国体明徴運動の理論的な意味づけとなった。」と説明されています。

「高校生のためのおもしろ歴史教室」から

「国体の本義」そのものは、西欧化によるモラル崩壊のなかで、日本の古き良き伝統に学び、天皇の下に「和を以て貴し」という精神を守りましょうというキャンペーンであったので、戦後GHQによって、軍国主義を喧伝した書物として排除されるものではないことは、読めばわかることである。

戦争における利用

しかし、ABCD包囲陣によって「窮鼠猫をかむ」の状況において無謀な日米戦争(1941年12月8日から1945年8月15日)を戦うにあたっても、日本は、天壌無窮の神勅により立てられた天皇を戴く神国だから負けるはずがない。必ず神風が吹き、日本が勝利すると国民を鼓舞する指導原理として「国体の本義」が利用され、神州不滅が喧伝さることとなる。この自己中心的で偏狭なナショナリズムは、日本の敗北によって否定された。

森首相の「神の国」発言について

この結果、平成12年(2000年)に森首相が「天皇を中心とした神の国」という発言がマスコミに取り上げられると、時代錯誤も甚だしい。即刻首相をやめろという運動にもなった。森首相のスピーチの記録をよめば、宗教の大切さを説いた上で、日本には、神道があり、神に手を合わすことの大切さを説いた。そして、神道の頂点には天皇がいることを神道政治連盟国会議員懇談会結成三十周年祈念祝賀会で説いたにすぎない。明治よりの国家神道の誤りゆえの過剰反応である。

日本の重要なアイデンティティ

神国日本というのは、昭和の時代の戦争遂行のための指導理念では、元々はなかった。戦争を鼓舞するための思想でもなかった。神国日本は、古代よりの江戸時代にいたる一貫した日本人の認識であったことを否定することはできない。国家神道となることにより、明治以来、特に昭和に入ってからの偏狭なナショナリズムに利用されたとはいえ、日本の重要なアイデンティティであることには、変わりないと思うがいかがだろうか。

日本こそ神の国

世界に比類無き豊かな自然界の恵みと、宝石箱の様な多様な自然、優雅で豊かな国民性。豊かな文化と歴史の継続性。まさに、聖書で言うエデンの園、仏教でいう極楽浄土、イスラム教で言う楽園にふさわしい。まさに、日本こそ神の祝福を受けた神国ではないか。(サイトからの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。日本の文化、伝統、風習、国民性は古代イスラエル系渡来人によって日本にもたらされた聖書の信仰、イエスの教えに遡ることができます。日本は確かに神の国なのです。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を開く時、そこに古くて新しい発見があることでしょう。

新約聖書 使徒行伝 8章14~25節

エルサレムにいる使徒たちは、サマリヤの人々が、神の言を受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネとを、そこにつかわした。ふたりはサマリヤに下って行って、みんなが聖霊を受けるようにと、彼らのために祈った。

それは、彼らはただ主イエスの名によってバプテスマを受けていただけで、聖霊はまだだれにも下っていなかったからである。そこで、ふたりが手を彼らの上においたところ、彼らは聖霊を受けた。

シモンは、使徒たちが手をおいたために、御霊が人々に授けられたのを見て、金をさし出し、「わたしが手をおけばだれにでも聖霊が授けられるように、その力をわたしにも下さい」と言った。

そこで、ペテロが彼に言った、「おまえの金は、おまえもろとも、うせてしまえ。神の賜物が、金で得られるなどと思っているのか。おまえの心が神の前に正しくないから、おまえは、とうてい、この事にあずかることができない。

だから、この悪事を悔いて、主に祈れ、そうすればあるいはそんな思いを心にいだいたことが、ゆるされるかも知れない。おまえには、まだ苦い胆汁があり、不義のなわ目がからみついている。それが、わたしにわかっている」。

シモンはこれを聞いて言った、「仰せのような事が、わたしの身に起らないように、どうぞ、わたしのために主に祈って下さい」。使徒たちは力強くあかしをなし、また主の言を語った後、サマリヤ人の多くの村々に福音を宣べ伝えて、エルサレムに帰った。

彼らは聖霊を受けた

「ただ主イエスの名によってバプテスマを受けていただけで、聖霊はまだだれにも下っていなかった」とは、どういうことなのでしょうか。ピリポの話を聞いて、自己中心、人間中心を退け、神に立ち帰り、神を中心にして生きるという神の国に同意して、バプテスマを受けたものの、まだ神の霊を受けてはいなかったということなのでしょうか。ペテロとヨハネが手を置いたところ、彼らは聖霊を受けたとありますが、それは何か目に見える現象だったのでしょうか。この記述だけでは知ることができません。

悪事を悔いて、主に祈れ

シモンもピリポの教えを受け入れ、バプテスマを受けていましたが、その心は神の前に正しくなかったのでしょう。相変わらず自己中心であり、神の思いではなく自分の思いを中心にしていたということでしょう。大切なことは人間中心、自己中心を退け、神に立ち帰り、神の願い、神の思いを中心にすることです。それが神の国であり、幸いな生き方であり、福音だとイエスは教えたのだと思います。

いかがでしたか

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」

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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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