【日本近現代史】アメリカは反日なのか

「高校生のためのおもしろ歴史教室」というサイトを大変興味深く読ませていただいております。今日は「反日のアメリカについて」という項から一部をご紹介いたします。アメリカは反日なのでしょうか。

「大東亜戦争の正体―それはアメリカの侵略戦争だった」清水馨八郎著 より

アメリカが日本を仮想敵国として、いつかは征服しようと戦略を立てたのは、いつの頃からであろうか。今までの日本の識者の見解では、セオドア・ルーズベルト大統領が日露戦争後の講話会議をポーツマスで仲介してくれた直後に立てたオレンジ計画(1905年)あたりが最初と考えられてきた。だが実際には、その50年も前の嘉永6年(1853年)6月3日のペリー黒船来航の時点ですでに始まっていたと考えるべきである。

その証拠

その証拠に、昭和20年8月、日本のポツダム宣言受諾を知ったニューヨーク・タイムズは「太平洋の覇権をわが手に」という大見出しの下に「われわれは初めて、ペリー以来の野望を達した。もはや太平洋に邪魔者はいない。これでアジア大陸の市場と覇権は、我が物になったのだ」との記事を載せた。これはアメリカ朝野の長年の願望が叶えられたことに対する偽らざる喜びの声であった。

ミズーリ号の星条旗

このことを裏付けるように、大東亜戦争終戦直後の東京湾上で行われた日本の降伏調印式で、会場となったミズーリ号の艦上のマストには、古びた二旒の星条旗が高らかに掲げられた。一つはペリーの黒船来航時、旗艦ミシシッピ号に掲げられていたもの。二つ目はフランクリン・ルーズベルトが日本を戦争に挑発することに成功した12月7日のホワイトハウスに揚がっていた星条旗である。今は亡き、ペリーとルーズベルトという日本侵略の立役者を称え、野望が叶ったことを両英雄に知らせ、感謝する瞬間を演出したのである。

ペリー来航

ペリー来航の表だった目的は、米国の捕鯨船などが給炭、食料補給のために立ち寄る港の開港を迫ったものであったが、黒船がかなり長期にわたって付近の海洋調査などを実施したところをみると、やがて遠征軍を以て日本を侵略し征服する野望が当初からあったことは明らかである。

ルーズベルト

ルーズベルトは1933年(昭和8年)3月4日、第32代米国大統領に就任した。以来、すなわち支那事変が起こる前から、彼はアジア・ヨーロッパに及ぶ大陸支配を確立しようとする大構想を持っていた。それについて「ルーズベルトが大統領に就任した時、日米開戦はすでに決定づけられていた」と説く識者もいる。実はそのとおりであった。

日米交渉

日本はそれまで、米国に対して豊かな文明国として尊敬し、友好関係の維持に努めてきた。一度として米国領土を侵略するような意図も持たず、行動も起こしていない。してみると日米交渉は、初めから日本を戦争に巻き込むための一方的挑発行為で、米国の日本への明らかな侵略戦争行為であった。

パール博士

かの日本無罪論のパール博士は、アメリカの歴史学者A・J・ノックの言を引いて、このような挑発を受ければ、モナコのような小国でも武器をとって米国に立ち向かったであろうと述べている。

窮鼠猫を噛む

まさに「窮鼠猫を噛む」の心境で決然として、対米戦に立ち上がったのである。人は大道で屈辱を受け、強者に裸にされ、上着を脱げ、さらに猿股も脱げと辱められれば、死を覚悟で敵に立ち向かうであろう。・・・日本には、自殺するか、降服するか、さもなくば、戦うかの選択した残されていなかったのである。(サイトからの引用は以上です。)

歴史の非情

思想やイデオロギーではなく、事実はどうであったのか。歴史を学ぶ必要性を感じます。今、林房雄著「大東亜戦争肯定論」という本を読んでいますが、欧米列強がアジア支配を考えていたことは事実でしょう。ペリー来航もアメリカの国益であり、国策だったのでしょう。しかし、悪いのはアメリカで、日本は悪くなかったというだけでは明日の展望は見えてこないような気もします。これが歴史であり、現実だと受け入れなければならないと思います。このような現実の中で、我々日本人は、これからどうするのかということが問われているのではないでしょうか。

私たちの指針

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本人の文化、伝統、習慣、国民性のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を開く時、そこに私たちの指針を見出すことができると思います。

新約聖書 使徒行伝 13章13~20節

パウロとその一行は、パポスから船出して、パンフリヤのペルガに渡った。ここでヨハネは一行から身を引いて、エルサレムに帰ってしまった。しかしふたりは、ペルガからさらに進んで、ピシデヤのアンテオケに行き、安息日に会堂にはいって席に着いた。

律法と預言書の朗読があったのち、会堂司たちが彼らのところに人をつかわして、「兄弟たちよ、もしあなたがたのうち、どなたか、この人々に何か奨励の言葉がありましたら、どうぞお話し下さい」と言わせた。

そこでパウロが立ちあがり、手を振りながら言った。

「イスラエルの人たち、ならびに神を敬うかたがたよ、お聞き下さい。この民イスラエルの神は、わたしたちの先祖を選び、エジプトの地に滞在中、この民を大いなるものとし、み腕を高くさし上げて、彼らをその地から導き出された。

そして約四十年にわたって、荒野で彼らをはぐくみ、カナンの地では七つの異民族を打ち滅ぼし、その地を彼らに譲り与えられた。それらのことが約四百五十年の年月にわたった。

ヨハネの離脱

なぜヨハネは離脱して、エルサレムに帰ってしまったのか、その理由は記されていませんが、もしかしたら、ユダヤ的でない文化、生活の中で、不安を覚えたのかもしれません。

ピシデヤのアンテオケ

シリヤのアンテオケから送り出されたパウロとバルナバは地中海を渡り、ピシデヤのアンテオケというところにやって来たと記されています。 たまたま同じアンテオケという地名だったのか、それとも後になって同じアンテオケという地名をつけたのか、それは分かりませんが、パウロがピシデヤのアンテオケで、安息日にユダヤ教の会堂に行き、そこに集まっていた人々に語った言葉が記されています。

神を敬うかたがたよ

パウロはここで「イスラエルの人たち、ならびに神を敬うかたがたよ」と呼びかけていることからも、そこにはユダヤ人だけでなく、外国人もいたと考えられます。

荒野ではぐくむ

パウロが語っているのは旧約聖書に記されているイスラエルの歴史です。その中で「約四十年にわたって、荒野で彼らをはぐくみ」と語っています。旧約聖書の出エジプト記を見ると、イスラエルの民は神中心ではなく、人間中心だったので、神は彼らを荒野で四十年間過ごさせることによって、神を中心としなかった世代を滅ぼし、その子供たちの世代になって、初めて約束の地、カナンの地に入ったことが記されています。それをパウロは「はぐくみ」と表現しています。確かに人は困難を通して、育まれることを思いました。世界の非情な歴史の中で、日本も多くの苦難の道を通らせられてきたことを思います。大切なことは誰かのせいにして終わるのではなく、育まれることではないかと思いました。いかがでしょうか。

いかがでしたか

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目次
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二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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