【日本近現代史】従軍慰安婦問題(2)

前回に引き続き「高校生のためのおもしろ歴史教室」というサイトの「従軍慰安婦問題」という項から一部をご紹介いたします。

朝日新聞の記事

ここに朝日新聞(平成五年九月二十日)の記事がある(「従軍慰安婦問題」の項を参照してください)。朝鮮人強制連行問題を研究している高校教師髙橋信氏たちが発見した「軍」慰安婦の募集広告を取りあげたものだ。この募集は、戦争も最終局面に入った昭和十九年十月下旬から十一月上旬にかけて行われた。

この証拠記事が証ししていること

朝日新聞や髙橋氏らは、日本を非難するつもりで、この資料を出しているらしいが、これからでも次の事実が浮き上がってくる。まことに「朝日新聞よ、語るに落ちたり」である。まず第一に、これは「募集」であって、強制ではない。第二に、「契約」および「待遇」について「面談」して決めることになっている。第三に、希望者の連絡先は「旅館」にいる許という人物(おそらくコリア人)である。朝日新聞の意図に反して、まさに「強制連行でなかった」ということを示す第一級の証拠資料ではないか。

コリア人の斡旋業者

この広告の許という人物は、おそらくコリア人の売春婦斡旋業者、つまり女衒(当時は、警察の鑑札を持った合法的業者)であったのであろう。かつて吉田某なる人物が、戦争中に済州島で慰安婦の強制連行をやったという告白記を書いたが、それは嘘であったらしく、当人は今、どこにいるのか姿を隠していると聞いている。

印象操作

しかも、コリア人女性だけが従軍したのではない。同時に日本内地の女性も働いていたわけであり、あたかもコリア人だけを差別しているかのごとき印象を与える報道は、まったくのミス・リードである。

報酬

さらに言えば、「軍」慰安婦たちは、その報酬としてカネを受け取っているのである。ある体験者の手記によれば、1回が2円だったということである。1日10回として20円。一週間六日働いたとすれば、120円になる。一ヵ月で、ざっと500円。当時、東大卒の月給が70円ぐらいであるから、売春業者のピンハネがあったとしても、これはむしろ、飛びきり高給の部類に属すであろう。

その真実

戦争初期のころの「軍」慰安婦たちはカネを貯めて故郷に帰り、家などを建てて親孝行した例も少なくないと聞く。コリアの女性は戦前の東北の少女たちのごとく親孝行であり、「身を売る」ことを恥と思わない面があった。もちろん、戦場に赴くわけだから、そこで砲火の犠牲になった方もおられるだろう。これは、まことに気の毒な話であるけれども、そういうところで亡くなった人はコリア人女性ばかりではない。同じように日本女性も亡くなっているのである。(サイトからの引用は以上です。)

正しく真実を知る重要性

教育や報道によって事実や印象が操作されているということでしょう。何が真実であるのか、正しく知る重要性を感じます。もちろん、日本人も完全な聖人君子であったということでもないでしょう。しかし、教えられているほど悪くもなかったのだと思います。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本人の文化、伝統、習慣、価値観、国民性のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人の本当の姿を知るためにも聖書を読んでみてください。

新約聖書 使徒行伝 15章1~5節

さて、ある人たちがユダヤから下ってきて、兄弟たちに「あなたがたも、モーセの慣例にしたがって割礼を受けなければ、救われない」と、説いていた。

そこで、パウロやバルナバと彼らとの間に、少なからぬ紛糾と争論とが生じたので、パウロ、バルナバそのほか数人の者がエルサレムに上り、使徒たちや長老たちと、この問題について協議することになった。

彼らは教会の人々に見送られ、ピニケ、サマリヤをとおって、道すがら、異邦人たちの改宗の模様をくわしく説明し、すべての兄弟たちを大いに喜ばせた。

エルサレムに着くと、彼らは教会と使徒たち、長老たちに迎えられて、神が彼らと共にいてなされたことを、ことごとく報告した。

ところが、パリサイ派から信仰にはいってきた人たちが立って、「異邦人にも割礼を施し、またモーセの律法を守らせるべきである」と主張した。

割礼を受けなければ救われないのか

宗教ではなく、自己中心、人間中心を退け、神に立ち帰り、神を中心にして生きることが救いであるとイエス・キリストは教え、パウロもバルナバもそのように教えていたのだと思います。こうして宗教ではなく、神に立ち帰ったユダヤ人でも、やっぱり割礼は必要ではないかと考えていたことが分かります。そういうものなのかもしれません。生まれた時からユダヤ教の慣習に従って育てられてきたユダヤ人にとって、割礼を受けること、モーセの律法を守ること、それは神を中心にすることに他ならないと考えたのでしょう。しかし、異邦人はそのような習慣がありませんので、そのように感じないかもしれません。自己中心、人間中心を退けて、神に立ち帰り、神を中心にして生きるとは、人類に普遍的な共通事項もあると同時に、それぞれの文化的背景に影響されることもあるのではないでしょうか。それを一つの形にして、こうでなければならないと決めるところにイエス・キリストも糾弾した宗教化があるのではないかと思いますが、皆さんはどう思われますでしょうか。

いかがでしたか

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」

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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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