【日本近現代史】日本兵は偉かった

ここまで言うと言い過ぎではないかと思ってしまいますが、これまで日本はこんなに酷かったと教えられてきた者としては、これくら言ってちょうどいいバランスかもしれません。ご一読ください。今日も「高校生のためのおもしろ歴史教室」というサイトの「南京事件」という項から一部をご紹介いたします。

日本の純粋さ

上海事変から南京に退く蒋介石の軍隊は前述した金州域のときと同じく民家に押し入り奪えるものは奪い、犯し、火を放って逃げた。南京陥落後、蒋介石軍は長江の上流九江に逃げ、ここに陣を張る様子が石川達三『武漢作戦』に描かれている。彼らは九江の民家を接収し、食糧を勝手に調達し、住民は自分の街で難民にされてしまった。日本軍がここに迫ると蒋介石軍は長江の堤防を決壊させて街を水浸しにし、井戸にはコレラ菌を撒いて逃げた。防疫と堤防の修理は日本軍がやった。

笑顔の日本兵

彼らを追って南京に進軍する日本兵が農家から買った鶏を笑顔で抱えている写真が朝日新聞に載った。南京にある例の三十万人虐殺記念館にこれがながらく「日軍兵士が鶏を略奪した図」として展示されていた。彼らにしてみれば掠奪は当然と信じて疑わなかったからだが、それが違うと分かってきて、南京事件70周年に当たる07年12月にこの写真をこっそり外した。それほど日本人の行動は彼らの理解の及ばないところにある。

さらに衝撃だったのが日本の経営する植民地の姿だった。

とくに満洲だ。リットン調査団は英国の元インド総督ビクター・リットン、フランスからはアルジェリア統治にかかわったアンリ・クロデール植民地軍総監、ドイツからは独領東アフリカ総督ハインリッヒ・ジュネーら「搾取する植民地」のベテランが満洲を見た。そして驚いた。国際連盟規約二十条に「遅れた地域の民の福利厚生を図るのは(先進国の)神聖な使命だ」とある。しかし現実は後進地域の民の愚民化を進め、米英は支那、マレーシアに、フランスはベトナムにアヘンを売り付け、ひたすら搾取してきた。しかし満洲では肥沃な大地の実りと地下資源を背景に学校が作られ、ユダヤ人スラブ人も含めた多くの民族が日本の指導のもとで自由と豊かさを満喫していた。

世界の中の日本

植民地搾取のベテランたちは満洲自体が彼ら白人の植民地帝国主義への告発に見えたのだろう。国際連盟への報告書は日本を閉じ込め、でも満洲は白人経営でいただきましょうという趣旨で貫かれている。奴隷をもち、残忍な戦争をし、掠奪と強姦を喜びにしてきた国々にとって掠奪も強姦もしない、奴隷も植民地ももたない日本は煙たいどころか、存在してもらっては困る国に見えた。その伏流を見逃すと、近代史は見えてこない。(サイトからの引用は以上です。)

日本人も完全ではないでしょうけれども

日本人は皆聖人君子であったということでもないと思います。日本人もまた生まれながらに自己中心であり、人間中心な存在だと思います。しかし、日本には太古の昔から神を中心とした倫理観、人生観があり、それを継承しているがゆえに、他国では考えられないような聖さを持っていることも事実だと思います。それを思い起こし、大切に継承すること。それが今、求められていることではないでしょうか。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本の文化、伝統、習慣、価値観、国民性のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を開く時、そこに本来の日本人の精神を見ることになると思います。

新約聖書 使徒行伝 14章8~18節

ところが、ルステラに足のきかない人が、すわっていた。彼は生まれながらの足なえで、歩いた経験が全くなかった。この人がパウロの語るのを聞いていたが、パウロは彼をじっと見て、いやされるほどの信仰が彼にあるのを認め、大声で「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」と言った。

すると彼は踊り上がって歩き出した。群衆はパウロのしたことを見て、声を張りあげ、ルカオニヤの地方語で、「神々が人間の姿をとって、わたしたちのところにお下りになったのだ」と叫んだ。

彼らはバルナバをゼウスと呼び、パウロはおもに語る人なので、彼をヘルメスと呼んだ。そして、郊外にあるゼウス神殿の祭司が、群衆と共に、ふたりに犠牲をささげようと思って、雄牛数頭と花輪とを門前に持ってきた。

ふたりの使徒バルナバとパウロとは、これを聞いて自分の上着を引き裂き、群衆の中に飛び込んで行き、叫んで言った、「皆さん、なぜこんな事をするのか。わたしたちとても、あなたがたと同じような人間である。

そして、あなたがたがこのような愚にもつかぬものを捨てて、天と地と海と、その中のすべてのものをお造りになった生ける神に立ち帰るようにと、福音を説いているものである。

神は過ぎ去った時代には、すべての国々の人が、それぞれの道を行くままにしておかれたが、それでも、ご自分のことをあかししないでおられたわけではない。すなわち、あなたがたのために天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなたがたの心を満たすなど、いろいろのめぐみをお与えになっているのである」。

こう言って、ふたりは、やっとのことで、群衆が自分たちに犠牲をささげるのを、思い止まらせた。

生れながらの足なえが歩いた

パウロとバルナバは地中海を渡り、今のトルコにあたる地域を巡り、ユダヤ教の会堂に入って神に立ち帰るようにと教えました。そこに生まれつき歩けない人がいました。パウロは何を見て、そう思ったのでしょうか。その人がパウロの教えを受け入れていることが分かったということなのでしょうか。彼が実際に立ち上がったとすれば、人々は単なる教えではなく、生きて働く神の力を目の当たりにしたということではないでしょうか。

生ける神に立ち帰れ

人々はパウロとバルナバを神のように崇めようとしました。パウロはそれを遮り、生きて働く神に目を留めるようにと教えました。不思議な現象を見たら、私たちもその人がすごいと思ってしまいがちですが、そうではなく、神に目を留めることが大切だと思います。そして、誰であっても、自己中心、人間中心を退け、生ける神に立ち帰り、神に従って生きるなら、生きて働く神の力をいただくことができるということだと思います。それは宗教によるものではありません。誰でもその力にあずかることができるということだと思います。

いかがでしたか

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」

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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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