【日本とイスラエル】沖縄本島・宮古島レポート(24)「永遠・完全」を表す七

2019年7月27日(土)~8月2日(金)沖縄本島・宮古島へ古代イスラエルの痕跡を巡る旅に行ってきました。今日は「永遠・完全」を表す七について、瑞慶山道弘氏のブログからご紹介させていただきます。

七森(ナナムイ)

宮古の池間島には、大主(ウパルズ)神社という島民がおそれ敬う拝所がある。*注:大主(ウパルズ)御嶽(ウタキ)ともいう。この大主(ウパルズ)神社を深く抱きいれた森を総称的に七森(ナナムイ)と呼んでいる。七森(ナナムイ)の「七」は、七つの森があるわけではなく、永遠・完全のシンボルとして「七」という数字が付いている。

七つの神

この七森(ナナムイ)には、大主(ウパルズ)神社の天道神(ティンタウガナス)を筆頭に、他に六つの神名があり、その七つの神のことを、七天加那志(ナナティンガナス)と呼ぶ。ここでの「七」も神名の数と同時に、永遠・完全を表し、七天加那志(ナナティンガナス)は永遠に完全な宇宙神・太陽神となる(「池間民俗語彙の世界、宮古・池間島の神観念」伊良波盛男著)。

沖縄の「七」

この池間島だけでなく、沖縄ではよく「七」の数を見る。七日焼香(ナンカシューコー)や七日節句(ナンカヌシク)、七嶽(ナナタケ)の国(久米島の人々が、沖縄本島をさして呼称した。「おもろそうし辞典」)、琉球開闢の七御嶽(祖神アマミクが造ったとされる七御嶽)、久高島の七つ屋、七つ橋など、例をあげたらきりがない。また四九日などは、七の七倍になっている。

沖縄の七数には、以下のものがある

「七御滝、七つ色の髪、七つのみぞ、七回まわす、七つの鍵、七つの枝、七つの巣、七つの卵、ニブトゥイ星(北斗七星)、七重アサギ、七汁の御酒、七ナンカ、七人のカカン、七のぬし、七の神、七壽、七度斧、七年マーイ、七人の御真人、七軒、七読み、鋸七つ、七ウモイ、七沸かし、七葉ヨー、七刃鍬、宿所七回かえた、七つ屋、七つ橋渡り、七大陸、名護の七曲、七浜、七つ勾玉、七百、七日間」などがある(「おきなわルーツ紀行」コラムより引用)。

なぜ「七」なのか

なぜ「七」の数を良く用い、それがなぜ永遠・完全を意味するのだろうか。それも聖書をひも解くと、良く分かるのである。実は、聖書では「七」は、完全数とされている。

天地万物は完成された。第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。・・・・・・第七の日を神は祝福し、聖別された。」(創世記2:1-3)

六日の間は仕事をすることができるが、七日目は、主の聖なる、最も厳かな安息日である。・・・・・・イスラエルの人々は安息日を守り、それを世々にわたって永遠の契約としなさい。これは、永遠にわたしとイスラエルの人々との間のしるしである。」(出エジプト31:17)

聖書の七数は完全数を表している。

以下は聖書の七数。

「天地創造の七日間(創世2:2)、七倍の復讐(創世14:15)、七週の祭り(出エジプト34:22)、七日目の祭司の任命(レビ8:33)、七日間汚れる(レビ12:2)、七たびふりかかる(レビ14:7)、七日目は全き安息日(レビ23:3)、七日間喜ぶ(レビ33:40)、七日間の祭り(レビ23:34)、七年目地の全き休みの安息(レビ25:4)、七の七倍、七たび(レビ25:8)、七十人の長老(民数11:16)、七日間種入れぬパンを食べる(民数28:17)、七十人の先祖(申命10:22)、七つの道に逃げる(申命28:7)、七人の祭司、七つの雄羊(ヨシュア6:6)、エリコを七たび回る(ヨシュア6:15)、七たび繰り返せ(列王上18:44)、七度目大雨となった(列王上18:45)、ナアマン七たび身を洗う(列王下5:10)、七たび倒れてもまた起き上がる(箴言24:16)、七倍、七つの日の光(イザヤ30:26)、七十人の長老(エゼキ8:11)、油注がれた君主が来るまで七週(ダニエル9:25)、七つの教会(黙示1:4)、七つの封印(黙示8:2)、七つの災害(黙示15:6)、七つの頭、七つの山、七つの王(黙示17:9)、七つの冠(黙示12:3)」(「おきなわルーツ紀行」コラムより引用)。(ブログからの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は沖縄および日本の文化、伝統、習慣、国民性のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人の心を知るために聖書を読んでみてください。

新約聖書 使徒行伝 26章12~18節

こうして、わたしは、祭司長たちから権限と委任とを受けて、ダマスコに行ったのですが、王よ、その途中、真昼に、光が天からさして来るのを見ました。それは、太陽よりも、もっと光り輝いて、わたしと同行者たちとをめぐり照らしました。

わたしたちはみな地に倒れましたが、その時ヘブル語でわたしにこう呼びかける声を聞きました、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。とげのあるむちをければ、傷を負うだけである』。

そこで、わたしが『主よ、あなたはどなたですか』と尋ねると、主は言われた、『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。さあ、起きあがって、自分の足で立ちなさい。

わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしに会った事と、あなたに現れて示そうとしている事とをあかしし、これを伝える務に、あなたを任じるためである。

わたしは、この国民と異邦人との中から、あなたを救い出し、あらためてあなたを彼らにつかわすが、それは、彼らの目を開き、彼らをやみから光へ、悪魔の支配から神のみもとへ帰らせ、また、彼らが罪のゆるしを得、わたしを信じる信仰によって、聖別された人々に加わるためである』。

イエスの顕現

事実だったのかどうか私には検証することはできませんが、パウロは事実として言っているようです。事実であれば、大変不思議な出来事と言わざるを得ません。パウロは死んだはずのイエスに出会ったと言っています。宗教ではなく、人間中心、自己中心を退け、神に立ち帰り、神を中心にして生きる幸いというイエスの教えを伝えるために、死んだはずのイエスが顕現し、パウロを選んだと言っているようです。これまで正しいと信じてきたことが間違っていたと目を開かせ、やみから光へ、悪魔の支配から神のみもとへ帰らせ、罪のゆるしを得、イエスの教えを信じて生きる。その働きのためにパウロは選ばれたと言っているのだと思います。宗教ではなく、信仰。パウロ自身もそのことを体験的に知ったのだと思います。

いかがでしたか

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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