【日本とイスラエル】沖縄本島・宮古島レポート(20)左(ヒジャイ)ウカチミとイエス・キリスト

2019年7月27日(土)~8月2日(金)沖縄本島・宮古島へ古代イスラエルの痕跡を巡る旅に行ってきました。詳しくは10月18日(金)タピ大でも講演させていただきますが、ブログでも少しレポートさせていただきます。 今日は左(ヒジャイ)ウカチミとイエス・キリストについて、瑞慶山道弘氏のブログからご紹介させていただきます。

前回紹介したウカチミについて

私には、この左(ヒジャイ)ウカチミが、聖書が描くイエス・キリストのように思えるのである。聖書には、イエス・キリストは昇天後、神の右の座に着いたとある。

主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。」(マルコ16:19)

神の右とは私たちから見れば左

「神の右の座」とは、神に向かって拝んでいるこちら側から考えれば、左側となる。そして、この左側にいる左(ヒジャイ)ウカチミが、祈りを通してくださる神というのも、実はイエス・キリストの大切な役目である。

わたし(イエス・キリスト)の名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。わたし(イエス・キリスト)の名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」(ヨハネ14:13-14)

これはイエス・キリストが、弟子たちに語った言葉である。キリスト教では、祈りの最後に「イエス・キリストの名によって祈ります。」と言うが、それも「わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう」と言ったイエスの言葉を信じて祈っているのである。

ユタの祈り

またユタの祈りに「命あるもの、血走っているものを、おささげ致します」とか「先祖の罪咎(を)……お赦しくだい」という言葉があるが、これも非常にユダヤ的、聖書的なのである。聖書には、命=血という考え方がある。

生き物の命は血の中にあるからである。」(レビ17:11)

古代イスラエルにおいて、神殿でいけにえの動物が捧げられるときには、命が捧げられる象徴として、血を注いで捧げたのである。その時、祭壇は真っ赤な血に染まるのである。その光景は、まさに「命あるもの、血走っているものを、おささげ致します」という状態になる。また動物犠牲の完成形であり、「神の子羊」と言われるイエス・キリストも、十字架刑で、「鞭打ち」や「はりつけ」によって、多くの血を流したのである(「動物犠牲とキリストの十字架」を参照)。その動物犠牲も、イエス・キリストの十字架も、共に「罪を償う供え物」として、人々が犯した罪が赦されるように、神に捧げられた供え物なのである。

権威者としてのイエス・キリスト

さらに、左(ヒジャイ)ウカチミが、人間の運命を握っている支配者(神)となっていたが、聖書も、イエス・キリストを支配者として描いている。

神は、この力をキリストに働かせて、キリストを死者の中から復活させ、天において御自分の右の座に着かせ、すべての支配、権威、勢力、主権の上に置き、今の世ばかりでなく、来るべき世にも唱えられるあらゆる名の上に置かれました。」(エフェソ1:20-21)

聖書の「神の右の座」は「力の座」であり、「すべての支配、権威、勢力、主権の上に置き」とあるように、「支配者の座」なのである。ここでの支配は、不平等、格差、差別のない、「愛による完全な支配」のことである。このように、左(ヒジャイ)ウカチミとイエス・キリストは、非常に共通点が多いのである。(ブログからの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は沖縄、および日本の文化、伝統、習慣、国民性のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人の心を知るために聖書を読んでみてください。

新約聖書 使徒行伝 25章13~22節

数日たった後、アグリッパ王とベルニケとが、フェストに敬意を表するため、カイザリヤにきた。ふたりは、そこに何日間も滞在していたので、フェストは、パウロのことを王に話して言った、「ここに、ペリクスが囚人として残して行ったひとりの男がいる。わたしがエルサレムに行った時、この男のことを、祭司長たちやユダヤ人の長老たちが、わたしに報告し、彼を罪に定めるようにと要求した。そこでわたしは、彼らに答えた、『訴えられた者が、訴えた者の前に立って、告訴に対し弁明する機会を与えられない前に、その人を見放してしまうのは、ローマ人の慣例にはないことである』。それで、彼らがここに集まってきた時、わたしは時をうつさず、次の日に裁判の席について、その男を引き出させた。訴えた者たちは立ち上がったが、わたしが推測していたような悪事は、彼について何一つ申し立てはしなかった。ただ、彼と争い合っているのは、彼ら自身の宗教に関し、また、死んでしまったのに生きているとパウロが主張しているイエスなる者に関する問題に過ぎない。これらの問題を、どう取り扱ってよいかわからなかったので、わたしは彼に、『エルサレムに行って、これらの問題について、そこでさばいてもらいたくはないか』と尋ねてみた。ところがパウロは、皇帝の判決を受ける時まで、このまま自分をとどめておいてほしいと言うので、カイザルに彼を送りとどける時までとどめておくようにと、命じておいた」。

そこで、アグリッパがフェストに「わたしも、その人の言い分を聞いて見たい」と言ったので、フェストは、「では、あす彼から聞きとるようにしてあげよう」と答えた。

アグリッパ王

アグリッパ王はヘロデ大王の曾孫でユダヤの領主であった人です。ローマと深い関係を持つ人であり、新たに着任したフェストを妹のベルニケとともに表敬訪問しました。その時、フェストはアグリッパにパウロの話をしました。それは単なる宗教の話であって、犯罪とは何の関係もないと言っています。アグリッパはパウロのことは知らなかったのでしょうか。フェストの話を聞いて、パウロに関心を持ったようです。パウロの話を直接聞いてみたいと思ったのでしょう。

いかがでしたか

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目次
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二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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