【日本とイスラエル】沖縄本島・宮古島レポート(31)斎場(セーファ)御嶽

2019年7月27日(土)~8月2日(金)沖縄本島・宮古島へ古代イスラエルの痕跡を巡る旅に行ってきました。今日は斎場(セーファ)御嶽について、瑞慶山道弘氏のブログからご紹介させていただきます。 (写真は斎場御嶽)

もっとも神聖な御嶽の一つ

斎場御嶽(セーファウタキ)は、沖縄では非常に有名で、もっとも神聖な御嶽の一つとされている。・・・ 古くは「さやはたけ」または「サイハノ嶽」と呼ばれ、御嶽のある場所もサヤハ原となっている。この斎場御嶽は、沖縄の祖神とされるアマミクが作った七御嶽の一つとされている。

ヤハラ

また祖神アマミクが沖縄上陸の第一歩をしるしたとされるヤハラヅカサも近くにある。どちらも祖神アマミクと関わりのある重要な聖地とされている。ヤハラヅカサのツカサは司、または塚などの意味であると説明されたりするが、ヤハラの意味や語源が、よく分らない。

ヤハ

ただヤハラヅカサにもサヤハタケ(=斎場御嶽)にも、どちらも「ヤハ」の文字が入っている。ヤハラヅカサもサヤハタケも、どちらも祖神アマミクに由来のある聖地名であり、距離的にも近いところにあることから、この「ヤハ」の文字は同根であろうと思われる。

「ヤハウェ」ではないか

その「ヤハ」は、聖書の神の「ヤハウェ」のことではないだろうか・・・。「ヤハウェ」は、しばしば短縮して「ヤ」「ヤー」「ヤハ」と使われる。

ヤハ・ハラー

まず「ヤハラ」についてであるが、へブル語(聖書の原語)の「ハラー」が、「(宗教的に)清める」という意味があり、「ヤハ・ハラー」で「ヤハウェによる清め」を意味するものとなる。イスラエルの父祖であるアブラハムは、新しい土地に入ったとき、その場所を清める意味で、ヤハウェに礼拝を捧げた。そして、そこに石で記念碑を建てたり、特別な意味を込めて、その場所に名前を付けたのである。そして祖神アマミクが沖縄上陸をしるした記念すべき聖なる場所ということを考えると、その名前の意味や、石の記念碑といい、古代イスラエルの習慣とよく一致するのである。

シャー・ヤハ

また「サヤハタケ」(=斎場御嶽)の「サヤハ」については、「シャー・ヤハ」が、ヘブル語(聖書の原語)で意味のある言葉となり、「ヤハウェの住まい」となる。この「シャー・ヤハ」が「サヤハ」の由来なら、これは神の降臨する拝所である御嶽には、ぴったりの名前となる。

自然石の祭壇

さらに古代イスラエルでは、自然石を使った祭壇が築かれ、拝所とされたことが分かっている。

もしわたし(ヤハウェ)のために石の祭壇を造るなら、切り石で築いてはならない。のみを当てると、石が汚されるからである。」(出エジプト20:25)

斎場(セーファ)御嶽も、自然石で造られた御嶽である。また斎場(セーファ)御嶽は、アマミクが沖縄に着いたときに、造った御嶽とされているが、聖書にも似たような記述がある。

ルベンとガドの人々、およびマナセの半部族は、カナンの土地にあるヨルダン川のゲリロトに着いたとき、そこに一つの祭壇を築いた。それは目立って大きい祭壇であった。」(ヨシュア22:10)

彼らは目的地に着いたとき、ヤハウェを礼拝する目立つ大きな祭壇を築いた。斎場(セーファ)御嶽も、アマミクが沖縄に着いたときに造った御嶽、しかも目立つ大きな御嶽である。

三角形の構造

さらに三角形の構造や図形は、古代イスラエルでは、良く用いられたものである。イスラエルの国旗の「ダビデの星」は三角形を2つ重ねたものである(「日本文化もとをたどれば聖書から」杣浩二著)。斎場(セーファ)御嶽の三庫裡(サンコウリ、サングーイとも言う)は、まさにそれを表現していると思われる。(ブログからの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は沖縄および日本の文化、伝統、習慣、国民性のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人の心を知るために聖書を読んでみてください。

新約聖書 使徒行伝 27章27~32節

わたしたちがアドリヤ海に漂ってから十四日目の夜になった時、真夜中ごろ、水夫らはどこかの陸地が近づいたように感じた。そこで、水の深さを測ってみたところ、二十ひろであることがわかった。

それから少し進んで、もう一度測ってみたら、十五ひろであった。わたしたちが、万一暗礁に乗り上げては大変だと、人々は気づかって、ともから四つのいかりを投げおろし、夜の明けるのを待ちわびていた。

その時、水夫らが舟から逃げ出そうと思って、へさきからいかりを投げおろすと見せかけ、小舟を海におろしていたので、パウロは、百卒長や兵卒たちに言った、「あの人たちが、舟に残っていなければ、あなたがたは助からない」。

そこで兵卒たちは、小舟の綱を断ち切って、その流れて行くままに任せた。

パウロの言葉に従う百卒長や兵卒たち

水夫たちは自分たちだけ助かろうとしたのでしょうか。しかし、舟に乗っている人々が皆、無事に陸に上がるために、水夫たちが果たす役割は大きいでしょう。自己中心、人間中心ではいけないと思います。神を中心にして、すべての人が協力し合うことが求められている状況ではないでしょうか。水夫たちを留めたのは、船長ではなく、パウロでした。そして、今や百卒長も兵卒たちも、船長の言葉ではなく、パウロの言葉に聞き従っている様子が窺えます。神を中心にして生きるパウロへの信頼が高まっていたのではないでしょうか。

いかがでしたか

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目次
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二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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