【日本とイスラエル】伊勢神宮と古代イスラエルの幕屋(1)

日本と古代イスラエル人との関連について、久保有政氏のYouTube動画解説「伊勢神宮と古代イスラエルの幕屋」からご紹介いたします。

木製の社殿とイスラエルの幕屋

伊勢神宮には外宮と内宮があります。外宮と内宮の正殿の形はほぼ同じです。・・・神社は釘を使わず、組み木だけで建てられます。古代イスラエルのモーセの幕屋も木製でした。そののち造られたソロモン王の神殿でも、内部は壁から天井、床に至るまですべて木の板で張られ「中からは石は一切見えなかった」(旧約聖書 列王記上 6章18節)と聖書に書かれています。同様に神道の神社は木製です。

偶像がない

神社の正殿(本殿)の中には、偶像(神の姿をかたどった像)はありません。・・・神道では、神は目に見えないと考えています。世界広しといえども、偶像を造らない宗教は3つしかありません。ユダヤ教と日本神道とイスラム教です。他のすべての宗教には偶像があります。(キリスト教ですら、ローマカトリックでは、キリストやマリヤ像をつくって、それを礼拝します。)

八咫鏡とヘブル語

内宮の正殿内には、八咫鏡(やたのかがみ)と呼ばれる神聖な鏡が置かれています。これは皇室に伝わる「三種の神器」の一つです。古代イスラエルにも「三種の神器」(十戒の石板、マナの壺、アロンの杖)があり、幕屋の至聖所内に置かれていたように、日本にも三種の神器があります。

「我は有りて在る者」

この八咫鏡の裏面にはヘブル語が書かれている、と古くから言われてきました。たとえば明治時代の森有礼文部大臣は、伊勢神宮で八咫鏡を見、その裏面に「我は有りて在る者」を意味するヘブル語「エヘイェ・アシェル・エヘイェ」(旧約聖書 出エジプト記 3章14節)が書かれていたと述べました。

矢野祐太郎

またのちに神道信者の矢野祐太郎が、八咫鏡を見たと主張しました。彼は伊勢神宮の宮司に誠意を尽くして何度もお願いし、ついに彼の熱意が通って、ひそかに見る許しを得たといいます。矢野は鏡の裏面の文字を注意深く模写しました。とくにその中央の円内の7文字は、ヘブル語、とりわけ古代ヘブル語に似ているようです。

神の光

この2段の文字は、「有りて在る者」(アシェル・エヘイェ)と読めないこともないかもしれません。あるいは、これら7文字はヘブル語の「オール・ヤハウェ」(神の光の意)と読めるでしょう。聖書には、「あなた(ヤハウェ神)の光の内に私たちは光を見る」(詩篇36編9節)と書かれています。(久保有政氏の解説からの引用は次回に続きます。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は古代イスラエル系渡来人によってもたらされた日本の文化、伝統、習慣、信仰、国民性のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本の原点を知るために聖書を読んでみてください。

旧約聖書 創世記 22章9~14節

彼らが神の示された場所にきたとき、アブラハムはそこに祭壇を築き、たきぎを並べ、その子イサクを縛って祭壇のたきぎの上に載せた。そしてアブラハムが手を差し伸べ、刃物を執ってその子を殺そうとした時、主の使が天から彼を呼んで言った、「アブラハムよ、アブラハムよ」。

彼は答えた、「はい、ここにおります」。み使が言った、「わらべを手にかけてはならない。また何も彼にしてはならない。あなたの子、あなたのひとり子をさえ、わたしのために惜しまないので、あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った」。

この時アブラハムが目をあげて見ると、うしろに、角をやぶに掛けている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行ってその雄羊を捕え、それをその子のかわりに燔祭としてささげた。それでアブラハムはその所の名をアドナイ・エレと呼んだ。これにより、人々は今日もなお「主の山に備えあり」と言う。

アドナイ・エレ

捧げ物となる動物はどこにあるのかとイサクに問われ、アブラハムは神が備えてくださると答えました。しかし、神の示された場所、モリヤの山にきたとき、そこに捧げ物となる動物はいませんでした。しかし、アブラハムも、イサクも戸惑う様子はまったく記されていません。当たり前のように、祭壇を築き、その上にイサクを載せ、刃物を執って、その子を殺そうとした様子が記されています。どういうことなのでしょうか。なぜ、アブラハムもイサクも戸惑うことがなかったのでしょうか。私には分かりません。それほどの神への信頼と確信がアブラハムにはあり、その父に信頼するイサクの姿なのかもしれません。そして、神はアブラハムが信じていたように雄羊を備えてくださいました。驚くべき出来事ですが、アブラハムにとっては、神への信頼はそれほど確かなものだったのかもしれません。かつて、どうして目に見えない神をそれほど確信することができるのかと問われたビリー・グラハム氏は、高く上がった凧が、たとえ雲の中に見えなくなったとしても、この糸の先には凧があることを確信することができる。それは確かな手ごたえがあるからだ。私には、確かに神がおられるという手応えがあると答えたそうです。アブラハムにとっても、神は確かな手応えだったのではないでしょうか。それは一人一人が神との生活の中で深めていくものではないでしょうか。

いかがでしたか

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目次
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二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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