【日本とイスラエル】罪の種類

古代イスラエル人と日本との関連について、久保有政氏のYouTube動画解説「神道のルーツとユダヤ4:穢れ、罪の観念、清潔等について」からご紹介いたします。

大祓いの時の祝詞(のりと)

・・・大祓いの時に唱えられる祝詞に述べられた「罪」の種類も、聖書のレビ記に述べられている「罪」の種類に酷似している。たとえば大祓いの祝詞において、地上的な罪として、「生きている人を傷つけること(生膚断)、死人を傷つけること(死膚断)、らい病(白人)、せむし(こくみ)、母と姦通する罪、自分の子を犯す罪、母と子を犯す罪、・・・獣姦、また呪術」などが挙げられている。

旧約聖書に記された罪

これらの罪は、旧約聖書『レビ記』に述べられているものに、そっくりだ。たとえば古代イスラエルにおいては、人の体でも自分の体でも、傷つけることは禁じられた(レビ記19章28節)。死体を冒涜することも禁じられた。らい病(ハンセン病)人や(同13章10~11節)、せむし(同21章20節)、そのほか体に欠陥のある者は、神殿で仕えることはできなかった(同21章17~23節)。母との姦通、娘との姦通、獣姦なども、もちろん禁じられていた(同18章6~23節)。そして呪術、魔法の類も禁じられていた(旧約聖書申命記18章11節)。

「罪」の文化、「恥」の文化

このように日本の大祓いの祝詞で言及されている「罪」は、旧約聖書で言われているものと、驚くほど似かよっている。ときに、日本文化は「罪」の文化ではなく「恥」の文化だといわれることがある。日本人は罪の意識よりも恥の意識のほうが強い、ということも言われる。確かに「恥」の観念は強いが、かといって「罪」の観念がないわけではない。

神道での「罪」の観念

日本の古典をみる限り、日本人は昔から「罪」といったことを強く意識した人々だった。神道では「罪」の観念が明確に存在し、しかも、それはきわめてユダヤ的な「罪」観念だった。先に見たように、罪の処分、罪のあがないということに関しても、神道と古代ユダヤ教は酷似している。ユダヤ教と「仏教」はまったく似ていないが、ユダヤ教と「神道」はあまりによく似ている。(久保有政氏の解説からの引用は次回に続きます。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は、古代イスラエル系渡来人によってもたらされた日本の文化、伝統、習慣、信仰、国民性のルーツです。キリスト教の経典としてではなく、日本の原点を知るために聖書を読んでみてください。

旧約聖書 創世記 39章6~23節

さてヨセフは姿がよく、顔が美しかった。これらの事の後、主人の妻はヨセフに目をつけて言った、「わたしと寝なさい」。

ヨセフは拒んで、主人の妻に言った、「御主人はわたしがいるので家の中の何をも顧みず、その持ち物をみなわたしの手にゆだねられました。この家にはわたしよりも大いなる者はありません。また御主人はあなたを除いては、何をもわたしに禁じられませんでした。あなたが御主人の妻であるからです。どうしてわたしはこの大きな悪をおこなって、神に罪を犯すことができましょう」。

彼女は毎日ヨセフに言い寄ったけれども、ヨセフは聞きいれず、彼女と寝なかった。また共にいなかった。

ある日ヨセフが務めをするために家にはいった時、家の者がひとりもそこにいなかったので、彼女はヨセフの着物を捕えて、「わたしと寝なさい」と言った。ヨセフは着物を彼女の手に残して外にのがれ出た。

彼女はヨセフが着物を自分の手に残して外にのがれたのを見て、その家の者どもを呼び、彼らに告げて言った、「主人がわたしたちの所に連れてきたヘブルびとは、わたしたちに戯れます。彼はわたしと寝ようとして、わたしの所にはいったので、わたしは大声で叫びました。彼はわたしが声をあげて叫ぶのを聞くと、着物をわたしの所に残して外にのがれ出ました」。

彼女はその着物をかたわらに置いて、主人の帰って来るのを待った。そして彼女は次のように主人に告げた、「あなたがわたしたちに連れてこられたヘブルのしもべはわたしに戯れようとして、わたしの所にはいってきました。わたしが声をあげて叫んだので、彼は着物をわたしの所に残して外にのがれました」。

主人はその妻が「あなたのしもべは、わたしにこんな事をした」と告げる言葉を聞いて、激しく怒った。そしてヨセフの主人は彼を捕えて、王の囚人をつなぐ獄屋に投げ入れた。こうしてヨセフは獄屋の中におったが、主はヨセフと共におられて彼にいつくしみを垂れ、獄屋番の恵みをうけさせられた。

獄屋番は獄屋におるすべての囚人をヨセフの手にゆだねたので、彼はそこでするすべての事をおこなった。獄屋番は彼の手にゆだねた事はいっさい顧みなかった。主がヨセフと共におられたからである。主は彼のなす事を栄えさせられた。

神を中心にして生きるヨセフ

どんなに主人の妻に言い寄られても、ヨセフは「どうしてわたしはこの大きな悪をおこなって、神に罪を犯すことができましょう」と言って、これを退けました。神を中心にして生きていれば、誘惑や試みがないということではないようです。それでも自己中心を退けて、神を中心にして生きるかどうかが問われています。神を選ぶことが祝福であることを知っているならば、私たちは自己中心の罪に対抗する力を得ることができるでしょう。

それでも、濡れ衣を着せられ、投獄されたヨセフ

ヨセフは主人に自分の正当性を訴えた様子は記されていません。もしかしたら、たとえ誤解されることがあったとしても、神の前に正しく生きているという心の平安があったのかもしれません。それにしても、神を中心にして生きるヨセフに、なぜこのような不運がやって来るのでしょうか。いや、もしかしたら、これは不運ではなく、この背後に神様の深い計画があるのかもしれません。私たちはそのすべてを知ることができませんが、確かに神の許しがなければ何事も起こらないとするならば、この一見不運と思える出来事の背後にも神の計画があると言えるでしょう。ヨセフがそこまで現実を肯定的に受け止めていたかどうは分かりませんが、神を中心にしてすべての物事を見るならば、そう言えます。今は分かりませんが、後になれば分かるのかもしれません。このような状況においても、神に目を留め、神を中心にして現実を受け入れ、神に期待して歩むこと。それが神を中心にした幸いな生き方だと思います。

いかがでしたか

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」

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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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