人間関係に伴う「不安」について

対人関係における「不安」が人間関係を難しくしている

木曜日のテーマは「人間関係」です。私が思うところ、多くの人々が対人関係において、大なり小なり不安を感じているように見受けられます。皆さんはいかがでしょうか。もちろん、相手にもよると思いますが、受け入れられるだろか、気に入られるだろうか、そんな不安を感じることはないでしょうか。もし、そうであれば相手も多分そうだと思います。この両者の不安がトラブルに発展してしまいます。

不安が不信感になってしまう

不安が原因となって、攻撃的な言動が出たり、疑るような態度になったり、相手に心を開けず、不信感を伝えてしまうことになります。その結果、相手もそれに反応して、不信感が帰って来ることになります。悪意があるなら問題外ですが、悪意がなくても、このような誤解、すれ違いが頻繁に起こります。原因は不安だと私は思います。

神様を中心にすること

どうしたら良いでしょうか。その答えは神様を中心にすることです。つまり、その不安を相手に向けるのではなく、神様に思いを向けて、神様に受け入れていただくことです。そうすれば、実は相手も不安を抱えている一人の人間だということが見えてくるでしょう。それを分かってあげることです。それを受け入れてあげることです。その不安を取り除いて、安心感を与えてあげることです。仮に相手から攻撃的な言動があったとしても、売り言葉に買い言葉にならないで、何かそう言わざるを得ない事情があるのではないかと受け止め、相手に安心感を与えてあげることが大切だと思います。

愛とは傷つくことを恐れないこと

お互いに武装している状態であれば、どうして良い人間関係を築くことができるでしょうか。相手の武装を解除させるには、自分が先に武装解除する以外にはないと思います。それでも不安で相手は攻撃して来るかもしれません。そうしたら、それをそのまま受け止めて、やり返さないことです。やがて相手も安心して武装解除することでしょう。私はこのことを神様を中心とする生活で学びました。愛とは傷つくことを恐れないことだと思います。今日も聖書の続きを読みましょう。

新約聖書 ルカの福音書11章14~28節

「イエスは悪霊、それも口をきけなくする悪霊を追い出しておられた。悪霊が出て行くと、口がきけなかった者がものを言い始めたので、群衆は驚いた。しかし、彼らのうちには、『悪霊どものかしらベルゼブルによって、悪霊どもを追い出しているのだ』と言う者もいた。また、イエスをためそうとして、彼に天からのしるしを求める者もいた。しかし、イエスは、彼らの心を見抜いて言われた。『どんな国でも、内輪もめしたら荒れすたれ、家にしても、内輪で争えばつぶれます。サタンも、もし仲間割れしたのだったら、どうしてサタンの国が立ち行くことができましょう。それなのにあなたがたは、わたしがベルゼブルによって悪霊どもを追い出していると言います。もしもわたしが、ベルゼブルによって悪霊どもを追い出しているのなら、あなたがたの仲間は、だれによって追い出すのですか。だから、あなたがたの仲間が、あなたがたをさばく人となるのです。しかし、わたしが、神の指によって悪霊どもを追い出しているのなら、神の国はあなたがたに来ているのです。強い人が十分に武装して自分の家を守っているときには、その持ち物は安全です。しかし、もっと強い者が襲って来て彼に打ち勝つと、彼の頼みにしていた武具を奪い、分捕り品を分けます。わたしの味方でない者はわたしに逆らう者であり、わたしとともに集めない者は散らす者です。汚れた霊が人から出て行って、水のない所をさまよいながら、休み場を捜します。一つも見つからないので、『出て来た自分の家に帰ろう』と言います。帰って見ると、家は、掃除をしてきちんとかたづいていました。そこで、出かけて行って、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て、みな入り込んでそこに住みつくのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。』 イエスが、これらのことを話しておられると、群衆の中から、ひとりの女が声を張り上げてイエスに言った。『あなたを産んだ腹、あなたが吸った乳房は幸いです。』 しかし、イエスは言われた。『いや、幸いなのは、神のことばを聞いてそれを守る人たちです。』」

神の国は生きて働く神の力

この時にはすでにイエスがただの人間ではないことは誰の目にも明らかだったと思います。でも、人となった神様だとは受け入れずに、それは悪霊の力だと悪く言う人もいました。しかし、イエスは「神の国」が来ていると答えられました。それは神様を中心とする世界であり、単なる教えではなく、生きて働く神様の力であると言われたんだと思います。

知識だけでは十分ではありません。実行することが大切です

そして、「わたしの味方でない者はわたしに逆らう者だ」と言われました。これだけの奇跡を見ながら、その語る言葉を聞きながら、それでもイエスを悪く言うのであれば、それは明確な反逆だといういことだと思います。悪霊を追い出しても、その後、空っぽの状態であれば、もっと悪い悪霊が入って、さらに悪くなるとイエスは言われました。神様は素晴らしいと知っているだけでは十分ではありません。幸いなのは、神様のことばを聞いてそれを守る人、実行する人だとイエスは言われました。神様を中心にして生きることは、単なる知識ではなく、そのように実行する人が体験する神様の力だということだと思います。

これは私たち日本人の神様の力です

それは何かの宗教に改宗することではありません。これは私たち日本人が太古の昔から崇めてきた神様の力です。単なる知識ではなく、実際にこの神様を中心にして生きること。それが幸いであることを知っていただきたいと願っています。