福音の望みを伝える

今朝、読んだ聖書にこう書いてありました。これは新約聖書の手紙の大半を書いたパウロの文章ですが、「今は神は、御子の肉のからだにおいて、しかもその死によって、あなたがたをご自分と和解させてくださいました。それはあなたがたを、聖く、傷なく、非難されるところのない者として御前に立たせてくださるためでした。ただし、あなたがたは、しっかりとした土台の上に堅く立って、すでに聞いた福音の望みからはずれることなく、信仰に踏みとどまらなければなりません。この福音は、天の下のすべて造られたものに宣べ伝えられているのであって、このパウロはそれに仕える者となったのです。」

ここでパウロは福音に仕えると言っているのであって、決して人々をキリスト教に改宗させて、キリスト教徒にすることに仕えるとは言っていないということをあらためて思わされました。福音とは良い知らせという意味です。神様は私たちを愛して、私たちを救うために自ら大きな犠牲をはらってくださったことが聖書には記されています。これはすべての人に届けたい良い知らせです。

そして、この福音の望みは日本人に正しく伝わっているのだろうかということを、もう一度考えさせられました。殆どの日本人は聖書と聞けば、キリスト教だと受けとめるのではないでしょうか。私は日本の全ての人に、キリスト教ではなく(もちろんキリスト教がいけないということではありませんが)この福音を知っていただきたいと願っています。そして、日本人として、人間として、本当に豊かな人生を送っていただきたいと願っています。そのために大きなことはできないかもしれませんが、私に与えられたこの「日本人の信仰と聖書について考える会」の働きに取り組んでいきたいと思います。

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