神様を中心とした恋愛、結婚

勢いだけでは難しい

結婚は感情的な勢いが大切だと言う方もいらっしゃいますが、勢いだけでは一生良い結婚を継続することは難しいと思います。恋愛、結婚においても、本当の幸せは神様を中心にすることだと思います。神様を中心とした恋愛、結婚とはどういうことなのか、今日は少し書いてみたいと思います。

自分が中心で良いのか

あの人が大好きだという気持ちは大切だと思います。しかし、それが中心になってしまうと、何も見えなくなって、こんなはずじゃなかったということになりかねませんよね。でも、相手の人が本当に自分の好みに合う人なのか冷静に判断した方が良いと言いたい訳ではありません。結局、それも自分が中心になっているんだと思います。

相手を中心にするのか

じゃあ、相手の好みに自分を合わせることなのか。つまり相手の人を中心にすることなのか。もちろん、相手に対する配慮は大事なことですから、ある程度は必要だと思います。でも、それが中心になれば、やはり問題になると思います。恋愛も結婚もひとつの人間関係ですから、自分を中心にしても、また相手を中心にしても、結局問題になると思います。解決は神様の思いを中心にすることだと思います。

神様を中心にすると

つまり、自己中心的で相手に何かをしてもらうことだけを期待するなら、いつも不満になると思います。お互いにそういう関係であれば、喧嘩ばかりということになってしまうでしょう。恋愛や結婚においても、神様の前に自分が問われているのは、相手が何をしてくれるかということではなく、自分は相手にどんな助けをしてあげることが出来るのかということだと思います。

それは単に相手の好みに合わせることではありません

もちろん、それは相手の好みを中心にするということではありません。本当にそれが相手のためになることなのかという、神様の視点が大事だと思います。時には相手が望んでいることであったとしても、それが神様の目から見て、正しくないことであれば、それは良くない事だと指摘することは神様を中心にすることであり、長い目で見てお互いを守り、お互いの祝福につながると思います。

神様を中心にすることは意志であり、決意です

愛は感情ではなく、意志であり、決意ですね。だから、結婚式では状況が良い時だけでなく、むしろ悪い時こそ、お互いを愛することを誓う訳です。もちろん感情も大切だと思います。でも、恋愛も結婚も、二人の問題としてではなく、神様の前にどうなのかという視点を持つことは、本当の幸いと祝福には欠かすことができないことだと思います。

特別な時だけでなく、日頃から神様を意識するようにしましょう

どうぞ常日頃から神様を意識して生活することを心がけてみてください。ライフスタイルにまですることが大切だと思います。そのために「日本人の信仰と聖書について考える会」では、毎日時間を決めて神様に祈り、聖書を読むことをお勧めしています。今日も聖書の続きを少し読んで、私の考えたことを書いてみますので、皆様の参考にしてみてください。

新約聖書 ルカの福音書10章23、24節

「それからイエスは、弟子たちのほうを向いて、ひそかに言われた。『あなたがたの見ていることを見る目は幸いです。あなたがたに言いますが、多くの預言者や王たちがあなたがたの見ていることを見たいと願ったのに、見られなかったのです。また、あなたがたの聞いていることを聞きたいと願ったのに、聞けなかったのです。』」

神様を中心とする幸い

弟子たちはイエスこそ人となった神様であることが分かりました。この方を中心とすることは神様を中心とすることであり、そこに私たちの全ての問題の解決があると分かりました。しかし、それは必ずしも誰もが知ることができることではなく、神様がそれと分からせてくれる人しか分からないともイエスは言われました。そして、ひそかに弟子たちに言われたのです。それがどんな大きな幸いであることか。

このブログがそのための役に立てれば幸いです

私自身、預言者でもなければ王でもありません。イエスの弟子たちもそうでした。漁師や取税人といった人たちでした。でも、このイエスが人となった神様であることを知り、神様を中心にするところにどんな問題の解決もあることを知りました。それはただただ神様の憐みであって、決して自分が何か優れていた訳ではないことを思います。それは全ての人に差し出されています。神様を中心とすることの祝福について、このブログが少しでも皆様のお役に立てれば幸いです。