惟神(かんながら)の道
一般的には神道や神社と言うと、合格祈願とか、家内安全など、ご利益的に理解されることが多いのかもしれませんが、本来、神道とは神の道のことであり、神様を中心とした生き方を示すもののようです。以前にもご紹介したことがありますが、小野善一郎著「日本を元気にする古事記の『こころ』」には「神の御心」、「惟神(かんながら)の道」という言葉で説明されているのは、そのことを示していると思います。
神の恵みに感謝しましょう
先日京都府丹後一宮の元伊勢籠神社を訪れた時のことをこのブログでも紹介させていただきました。籠神社に向かう途中、国道左手に籠神社の大きな案内が出ていましたが、そこに大きく「神の恵みに感謝しましょう」と書かれていました。籠神社ではご利益よりむしろ神様を心の中心に置くことが指し示されていると感じました。
神道と聖書
私はそのような生き方をクリスチャンになることによって知ったのですが、神道について知れば知るほど、同じことを言っているという思いを深くしています。特に「神の恵みに感謝する」という言葉に関して言えば、私はクリスチャン特有の言葉だと思っていましたが、籠神社の案内を見た時には驚きと同時に神道でも同じことを言っていると感じました。
神様にゆだねる
京都市にある出雲大社紫野教会の神職をされている中島隆広氏の著書「日本人が大切にしてきた神様に愛される生き方」を読んでいたら、こんなことが書いてありました。「『神様にお願いする』ことは、『自分の手に負えないこと』があると認め、受け入れ、神様にゆだねることでもあります。それはとても自然な行為であり、謙虚な気持ちに基づいた素敵な行為でもあるといえるのではないでしょうか。」
「神様に頼ること」は謙虚さの表れ
「神様にゆだねる」という言葉もまたクリスチャン特有の言葉だと思っていましたが、そうではないようです。それにしても全く同じ言葉を使っていることにあらためて驚きを感じます。確かに神様に願い求めることは、神様を中心にすることに他なりませんし、私はクリスチャンとしても、中島氏の言葉に同感です。
ポイントは神様を中心にすること
私はクリスチャンになって、神様を中心にして生きることを知りました。しかし、今こうして神道について知ると、全く同じことを言っていることにあらためて驚かされます。聖書と神道、聖書と日本人の信仰には深い関係があるという思いを深めています。いずれにしても、日本人として、神様を中心にして生きる幸いな人生を深めるために、ぜひ聖書も読んでみてください。
聖書を読みましょう
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は宗教の戒律が記された教典ではなく、神様を中心にして生きようとしたユダヤ人の記録であり、日本人の信仰のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きる日本人として聖書を読んでみてください。
新約聖書 マルコによる福音書 1章29~39節
それから会堂を出るとすぐ、ヤコブとヨハネとを連れて、シモンとアンデレとの家にはいって行かれた。ところが、シモンのしゅうとめが熱病で床についていたので、人々はさっそく、そのことをイエスに知らせた。イエスは近寄り、その手をとって起こされると、熱が引き、女は彼らをもてなした。
夕暮になり日が沈むと、人々は病人や悪霊につかれた者をみな、イエスのところに連れてきた。こうして、町中の者が戸口に集まった。イエスは、さまざまの病をわずらっている多くの人々をいやし、また多くの悪霊を追い出された。また、悪霊どもに、物言うことをお許しにならなかった。彼らがイエスを知っていたからである。
朝はやく、夜の明けるよほど前に、イエスは起きて寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。すると、シモンとその仲間とが、あとを追ってきた。そしてイエスを見つけて、「みんなが、あなたを捜しています」と言った。イエスは彼らに言われた、「ほかの、附近の町々にみんなで行って、そこでも教を宣べ伝えよう。わたしはこのために出てきたのだから」。そして、ガリラヤ全地を巡りあるいて、諸会堂で教を宣べ伝え、また悪霊を追い出された。
生きて働く神様の力
イエスが悪霊を追い出し、多くの人々の病をいやしたことが記されています。どんなことを教えたのか、教えの内容はあまり記されていません。教えよりもむしろ、イエスを通して神様の力が働いていたことを伝えているように思います。
神様に思いを向けて祈る
翌朝、夜の明けるよほど前からイエスは起きて、ひとり寂しい所へ行って祈っていたことが記されています。それは神様に思いを向けて、自分の思いや願いではなく、神様の思いを中心にするために大変有効な方法だと思います。どのような言葉で祈ったのか記されていませんが、大切なことは神様の思いに心を向けることだと思います。
祈りの習慣の重要性
イエスの噂が広まって、翌日もまた多くの人々が集まって来たようです。しかし、イエスは「ほかの町へ行こう」と言いました。ひとり静まって、神様に思いを向けて祈っていたので、それが神様の願いだとイエスは確信していたのではないでしょうか。状況に左右されずに、本当に神様に求められている人生を生きるために、祈りの習慣はとても大切なことではないかと思います。
いかがでしたか
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