【キリスト教・宗教】日本神道と日本人

「国家の中心が皇室と神道というように、ぶれていないからこそ、日本という国は千年以上もの長きにわたって、君主国としての機能を維持してきたのだと私は思います。」と語るサンマリノ共和国特命全権大使マンリオ・カデロ氏は、日本人の高い国民性を支えているのは神道だと言います。カデロ氏の著書「だから日本は世界から尊敬される」からご紹介いたします。

どうして日本だけが

それにしても、どうして日本だけがアジアの中でこんなに進んでいたのでしょうか。経済的にも繁栄しているし、人々の生活の規範を見ても素晴らしい。他のアジアの国をみると、まず個人主義が強いし、自分だけよければいいという国が多すぎます。日本人が持っている謙譲の美徳や、惻隠の情といった概念は、他国にはみられません。

自然体な日本人

昔から日本人はとても自然体で、世界中でもネーチャーに一番近い民族です。綺麗好きだし、食べ物も繊細です。とても洗練された民族です。総じていえば、知的レベルの高い人が多いです。洋服も綺麗で、特に女性の夏の浴衣などはとてもエレガントだと思います。

神社の遷宮

私は日本の神社の遷宮というシステムも素晴らしいと思っています。日本の神社の総本山である伊勢神宮では20年に1度式年遷宮が行われることは有名です。私も、2013年の遷宮の時に伊勢神宮から招待されて、貴重な機会に立ち会わせていただきました。それは厳かで素晴らしいものでした。数時間に及ぶ遷御の儀の間、参列者はおしゃべりもせず、儀式が終わるまでじっとしています。このような忍耐力を目の当たりにして、ヨーロッパ人である私は驚愕しました。

それは素晴らしい知恵

神宮は、この式年遷宮を絶やさないために、伊勢市南部に約5500ヘクタールの神宮宮域林を持っています。また、この遷宮によって20年に1度、各種の職人技が発揮されることになり、結果的に古い技術や伝統的な手法が維持継承されます。日本という「ものづくりの国」の伝統を守るための、素晴らしい知恵だと私は思います。

神道に対する敬意

神宮は、日本の象徴である皇室の守り神ですから、日本書紀の記述によれば2600年間以上の歴史を持つ皇室と共にあるわけです。だからこそ、前述したように遷御の儀のときには、参加者は長時間黙って儀式を見つめ、トイレにも行かず、言葉を発しないのです。それほど神道に対する敬意は深いのだと思わずにいられません。日本人なら誰でも、伊勢神宮の中に入ると、心の安らぎを覚えるのだと言います。私は外国人ですが、同じように感じました。(本からの抜粋引用は以上です。)

神様を中心にして生きる

それは単なる教えにとどまらず、日本人の生活の中で継承されて来た神様を中心とした生き方であり、古代日本にあったユダヤ系渡来人の影響だと私は思います。しかし、カデロ氏も著書の中で憂慮していますが、現代の日本において、このような習慣や価値観が急速に失われて来ており、日本人が神様を意識することが少なくなっているように思います。自己中心を退け、神様の願いや思いを中心にして生きる日本人の心を大切にして欲しいと思います。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は宗教の戒律が記された教典ではなく、神様を中心にして生きようとしたユダヤ人の記録であり、私たち日本人の信仰のルーツでもあります。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きる日本人の心の源泉に触れるために聖書を読んでみてください。

新約聖書 マタイの福音書 28章1~10節

さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方、マグダラのマリヤと、ほかのマリヤが墓を見に来た。すると、大きな地震が起こった。それは、主の使いが天から降りて来て、石をわきへころがして、その上にすわったからである。その顔は、いなずまのように輝き、その衣は雪のように白かった。番兵たちは、御使いを見て恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。

すると、御使いは女たちに言った。「恐れてはいけません。あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。ですから急いで行って、お弟子たちにこのことを知らせなさい。イエスが死人の中からよみがえられたこと、そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれ、あなたがたは、そこで、お会いできるということです。では、これだけはお伝えしました。」

そこで、彼女たちは、恐ろしくはあったが大喜びで、急いで墓を離れ、弟子たちに知らせに走って行った。すると、イエスが彼女たちに出会って、「おはよう」と言われた。彼女たちは近寄って御足を抱いてイエスを拝んだ。すると、イエスは言われた。「恐れてはいけません。行って、わたしの兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会えるのです。」

イエスの復活

これは事実の記録なのか。もちろん、私には確かめる術はありません。しかし、それが「週の初めの日(日曜日)の明け方」であったこと。「マグダラのマリヤともう一人のマリヤ」が墓に行ったこと。「御使いが、イエスはよみがえったと告げた」ことなど、新約聖書のはじめにある4つの福音書「マタイの福音書」「マルコの福音書」「ルカの福音書」「ヨハネの福音書」にすべて記されていることから、それは当時の弟子たちの間で共有されていた内容であることは間違いないだろうと思います。

大切なことは何か

しかし、大切なことはそれが事実だと信じるかどうかということではないと思います。もちろん、神様は死人をよみがえらせることもできると私は思います。だから、こんなことはあり得ないとは思いません。しかし、これは事実だと証明することも私には出来ません。ただ、たとえそのことが事実として受け入れられなかったとしても、だから神様を中心にしないで、自己中心に生きて良いということにはならないと思います。

神様を中心にして生きること

神様の願いや思いを中心にして生きること。それが最も重要なことではないでしょうか。それが本来の人間の生き方であり、それが日本人の心だと思います。

いかがでしたか

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