【キリスト教・宗教】カルトとは何か

時に人格破壊や集団自殺など社会問題を引き起こすカルト集団。宗教との関連で言われることも多いですが、そもそもカルトとは何なのでしょうか。何が問題であり、私たちは何に気を付けたら良いのでしょうか。「なぜ人はカルトに取り憑かれてしまうのか?」という記事を紹介して考えてみたいと思います。

宗教だけではない

2017年現在、世界中には何千というカルトが存在しますが、覚えておきたいのは、それら全てが宗教的というわけではないということ。政治的なもの、セラピーの形をしたもの、自己啓発など、さまざまな形のカルトが存在します。一方で、全ての宗教がカルトでもありません。では一体カルトの定義とは何でしょうか?そして、なぜ人はカルトにはまるのでしょうか?

カルトの定義

広義の意味では、カルトとは強いイデオロギーによるつながりを持つ集団によるムーブメントを指します。この集団にはイデオロギーを体現したカリスマ的なリーダーが存在するのが一般的です。そして多くのカルトは「深い献身」「厳格なヒエラルキー」「疑うことを知らない支持者と内部で動く人を区別すること」といった共通する特徴を持ちます。また、人生で抱く大きな疑問への答えを与えてくれるのも特徴。さらに、この時、信者に対して「どのようにすれば状況を変えられるのか」という方法も提示します。カルトはこれらのシステムによって新入りのメンバーを真の信者に変え、お金を巻き上げます。

内部の人と外部の人を隔てる

一方で、カルトの内部の人々は信者たちの従順さを保つために「公式の顔」と「非公式の顔」を持ちます。疑いを持った信者やカルトを調査しようとする外部の人には厳しい叱責を行うのです。一方で現代のいわゆる「カルト」は組織の外の人々と、内部の人々を分け隔てます。信者たちによりよく生きるためのガイドラインを与えるのではなく、家族とのつながりや経済的なこと、人生の選択などを、より直接的にコントロールしようとします。

気を付けるポイント

世の中には一見してカルトに見えないカルトも存在しますが、「何かを信じる」ということにおいて、家族や友人を代償にするべきではありません。もし誰かがあなたに誰かとの関係を犠牲にするよう命じたり、「より大きな善のために」道徳を犠牲にすることを強いたとしたら、多くの場合、その相手はあなたを搾取しようとしていることを肝に銘じておきましょう。(サイトからの抜粋は以上です。)

神様を中心にすること

ある特定の教えや組織、宗教を絶対化することがカルトの始まりだと思います。もちろん、全てのカルトが悪ではないかもしれませんが、神様はある組織や宗教を分け隔てし、特別扱いすることはないでしょう。人の意見はあくまでも参考であって、最終的には神様の思いを自分の良心で判断し、自己中心を退けて、神様の思いを中心にして生きることが大切だと思います。それが日本人の宗教観だと思います。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は宗教の戒律が記された教典ではなく、神様を中心にして生きようとしたユダヤ人の歴史の記録であり、私たち日本人の信仰のルーツでもあると思います。キリスト教の教典としてではなく、それぞれの良心で聖書を読んでみてください。

新約聖書 マタイの福音書 23章1~12節

そのとき、イエスは群衆と弟子たちに話をして、こう言われた。「律法学者、パリサイ人たちは、モーセの座を占めています。ですから、彼らがあなたがたに言うことはみな、行い、守りなさい。けれども、彼らの行いをまねてはいけません。彼らは言うことは言うが、実行しないからです。

また、彼らは重い荷をくくって、人の肩に載せ、自分はそれに指一本さわろうとはしません。彼らのしていることはみな、人に見せるためです。経札(きょうふだ)の幅を広くしたり、衣のふさを長くしたりするのもそうです。

また、宴会の上座や会堂の上席が大好きで、広場であいさつされたり、人から先生と呼ばれたりすることが好きです。しかし、あなたがたは先生と呼ばれてはいけません。あなたがたの教師はただひとりしかなく、あなたがたはみな兄弟だからです。

あなたがたは地上のだれかを、われらの父と呼んではいけません。あなたがたの父はただひとり、すなわち天にいます父だけだからです。また、師と呼ばれてはいけません。あなたがたの師はただひとり、キリストだからです。

あなたがたのうちの一番偉大な者は、あなたがたに仕える人でなければなりません。だれでも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます。

人間を神様に勝る教祖にしてはいけない

「父」とは父親のことではなく、先生、師と同じ、またはそれ以上の存在という意味でしょう。イエスは明らかに人間を神様に勝る教祖にすることを戒めていると思います。もちろん、尊敬する人、師と仰ぐ人がいることは幸いなことだと思いますが、決して神様に勝ることはありません。その人もまた不完全な人間であることを忘れてはいけないと思います。

人ではなく神様を中心にする

神様は私たち一人一人の良心に語り掛けてくれます。人の教えや書物はそのための参考にはなると思いますが、神様に勝ることはありません。最終的には私たちはそれぞれに与えられる神様からの思いを中心にすることが大切だと思います。

いかがでしたか

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今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。