「イスラエル12部族に関する聖書預言と日本」というテーマに入る前に、どうしてそのようなことを考えるようになったのかご理解いただくために、これまでの私の信仰の歩みをまとめています。今日はその(5)です。
アメリカ人の価値観
前回ご紹介した伝道団体は戦後間もなく日本にやって来たいくつかのアメリカ人宣教師家族が中心となって、そこに日本人家族もいくつか加わっています。すでに三世代目になっており、日本で生まれ育った人たちが中心ですが、やはりアメリカ人の価値観、考え方も引き継いでいると感じます。
教えられることもたくさんありました
そのような方々と一緒に仕事をしたり、キリストの救いを伝える活動をする中で、たとえば「子供に、親に従うように教えることは良いことである。反抗は悪い事だとはっきりと教える。」など、言われてみれば、その通りだと、教えられることがたくさんありました。それと同時に、日本人以上に言葉、単語を正確に使う必要を感じ、ずいぶん意識するようになりましたが、日本人としては少し違和感を感じることもありました。
日本のような国は他にはない
また、この団体は海外にも多くの宣教師を送り出しています。その中で皆さんが口を揃えて言うのは、日本のようにすべての面で整った国は他にないということです。日本を標準にしてはいけないとよく言っています。私自身も海外に行く機会が多く与えられる中で、確かにその通りだと実感するようになりました。
日本は遅れた国だと思っていた
これまで私は、なんとなく日本は遅れた国で、戦後西欧化されることによって、だいぶ良い国になって来たと思い込んでいましたが、どうもそれは間違った認識ではないかと考えるようになりました。そして、どうして私はそのように考えていたのか調べてみようと思いました。原因は戦後の教育にあるのではないかと考えた私は、まず東京裁判について調べてみました。
戦後の教育が原因だった
詳細は省きますが、色々と調べて分かったことは、戦争に負けた日本は一方的に日本人は悪かったという教育をされたために、私も日本は野蛮な遅れた国であって、キリスト教国のアメリカが日本を救い、民主的な国にしてくれたと思い込んでいたということでした。いわゆる自虐史観の影響だったということですね。もちろん日本人は完璧ということではありませんが、日本人の高い国民性は戦後に始まったものではなく、もともと日本人は固有の高い国民性を持っており、それが実際に海外に行って私が感じた実感であり、それが真実だったと深く納得しました。
日本人の高い国民性はどこから来たのか
このような日本人の高い国民性、文化、伝統はいったいどこから来たものなのだろうか。こうして私の探求は「日本人の信仰と聖書」へと向かって行くことになります。そのことにつては次回書きたいと思います。もう少しお付き合いください。
聖書を読みましょう
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書はイスラエル人の記録であり、日本人の高い国民性のルーツでもあります。キリスト教とは切り離して、日本人として聖書を読んでみてください。
新約聖書 マルコによる福音書 13章9~13節
あなたがたは自分で気をつけていなさい。あなたがたは、わたしのために、衆議所に引きわたされ、会堂で打たれ、長官たちや王たちの前に立たされ、彼らに対してあかしをさせられるであろう。こうして、福音はまずすべての民に宣べ伝えられねばならない。
そして、人々があなたがたを連れて行って引きわたすとき、何を言おうかと、前もって心配するな。その場合、自分に示されることを語るがよい。語る者はあなたがた自身ではなく、聖霊である。
また兄弟は兄弟を、父は子を殺すために渡し、子は両親に逆らって立ち、彼らを殺させるであろう。また、あなたがたはわたしの名のゆえに、すべての人に憎まれるであろう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
弟子たちに語られたイエスの言葉
エルサレム神殿が破壊される前にはどんな前兆があるのかと尋ねる弟子たちに答えたイエスの言葉の続きです。弟子たちは捕らえられ、鞭打たれ、あかしをさせられる。こうして福音が伝えられるとイエスは言っています。
ユダヤ議会で証言を求められる
「衆議所」とはサンヘドリンと呼ばれるユダヤ議会のことだと思います。そこで証言を求められる。何を言おうかと前もって心配するな。神様の霊によって示されることを語れば良いとイエスは言いました。
弟子たちに心の準備をさせる
イエスの名のゆえに家族の間にも不信が入り込み、すべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われるとイエスは言いました。間もなくイエスはエルサレムでユダヤ教指導者、議員たちによって十字架にかけられようとしていることを踏まえ、イエスは弟子たちに迫害に備えて覚悟を迫ったのではないでしょうか。
直接私たちに語られた言葉ではない
神様を中心にして幸いな人生を送るためにも、自己中心を退ける覚悟がある程度は必要だと思います。しかし、イエスがここで語った言葉はそういうことではないと私は思います。これはあくまでもイエスと共にいた弟子たちに、その覚悟を予め求めた言葉ではないでしょうか。
いかがでしたか
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本書の目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」
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