キリスト教徒より日本人の方が聖書に近い

キリスト教徒から見れば

水曜日は「キリスト教、宗教」という観点から日本人の信仰について考えています。欧米のキリスト教徒から見れば、日本人の神社参拝や仏式の葬儀などは異教的だと受け止められるのは無理のないことだと思います。もちろん、日本の神道や仏教は西欧諸国で発展して来たキリスト教でないので、キリスト教から見れば異教であることは事実ですが、これまでキリスト教徒はそのような異教的な習慣に妥協しないことをもって自らの信仰の証しとしてきたのかもしれません。

それも尊重しますが、日本人のやり方もある

そのようなキリスト教徒の信仰も、神様を中心とする信仰から出ている限り、私は尊重されるべきだと思いますが、私がこのブログでお伝えしたいことは、それだけが神様を中心とする唯一の信仰のあり方ではないということです。むしろ日本人は神社参拝や仏式の葬儀を通して神様を中心とした生活をすることが可能だと思いますし、そうすべきだと私は思います。大切なことは神様を中心とすることであって、宗教ではないと思います。

アンテオケとエルサレムに別々のグループがあった

また、聖書は西欧キリスト教の教典のように考えられがちですが、決してそうではないということも知っていただきたいと思います。キリスト教会のルーツを辿れば、新約聖書の「使徒の働き」に記録されているアンテオケという都市にできた信仰のグループだと思いますが、イエスを人となった神様と信じる人たちのグループは彼らだけではなく、エルサレムにもいたことが記されています。

キリスト教とは別の流れもある

それはガリラヤ湖からイエスの弟子となって付いて来た人たちを中心とするグループで、「使徒の働き」ではヘブル語を話すユダヤ人と記されています。やがて彼らはエルサレムを離れ、シルクロードを通って東へ向かったと考えられますが、その末裔が秦氏と名乗って、日本までやって来たのではないかと言われています。日本の神道は彼らの信仰の影響を大きく受けており、そのルーツはイエスに遡ることができるそうです。イエスを人となった神様と信じる人たちのグループはキリスト教会以外にもあったことが分かると思います。

聖書は特定の宗教の教典ではない

また、旧約聖書には、神様がイスラエルを選ばれ、導かれたことが記録されていますが、神様は決してイスラエル人だけの神様ではありませんし、ユダヤ教の神様だということでもないと思います。聖書に記されている神様は天地万物の造り主である神様であり、全人類の神様です。何か特定の宗教の神様でないことは明らかだと思います。キリスト教やユダヤ教に限らず、聖書は神様を中心とした生活をするために大変有益な書だと私は思います。聖書は神様が人類にどのように関わってくださったのかが記された世界最古の記録文書であり、このような記録は他にはないと思います。

特定の宗教を信仰するということ

日本以外の国々では、お隣りの中国、韓国を含め、何か特定の宗教を信仰することは普通のことのようですが、日本人にとっては特定の宗教を信仰しないことの方がむしろ普通のことだと思います。私は特定の宗教を信仰しつつ神様を中心とした生活をしようとする人々も尊重されるべきだと思いますが、日本人のように特定の宗教を持たずに神様を中心とした生活をすることはもっと良いことだと思っています。大切なことは神様を中心とした生活をすることであり、宗教がそのために益となるのであれば、それも良いという事だと思っています。

神様を中心とした生活をすること

以上、見てきましたように、聖書の神様も日本人の神様も同じ神様だということがお分かりいただけたと思います。しかし、日本人が毎日の生活の中で神様を中心とした生活をしているのかと言えば、必ずしもそうではないということを私は危惧しています。私の願いは全ての日本人が毎日の生活において神様を中心とすることです。それでは今日も聖書の続きを読みましょう。神様を中心として生活をしていただきたいと思っています。

新約聖書 ルカの福音書22章7~23節

さて、過越の小羊のほふられる、種なしパンの日が来た。イエスは、こう言ってペテロとヨハネを遣わされた。「わたしたちの過越の食事ができるように、準備をしに行きなさい。」 彼らはイエスに言った。「どこに準備しましょうか。」

イエスは言われた。「町に入ると、水がめを運んでいる男に会うから、その人が入る家にまでついて行きなさい。そして、その家の主人に、『弟子たちといっしょに過越の食事をする客間はどこか、と先生があなたに言っておられる』と言いなさい。すると主人は、席が整っている二階の大広間を見せてくれます。そこで準備をしなさい。」

彼らが出かけて見ると、イエスの言われたとおりであった。それで、彼らは過越の食事の用意をした。

過越の祭

エジプトからイスラエル民族を救い出す時、神様は神の民のしるしとして、羊を殺して、その血を家の入口に塗るように命じました。神様はその血のある家を過ぎ越し、血のついていないエジプト人の家の長男を殺しました。エジプト人が悲嘆に暮れる中をイスラエルの人々はエジプトを脱出したのです。それで過越の祭と呼ばれます。

神社の赤い鳥居

神社の鳥居が赤く塗られていたり、神社の拝殿の入口が赤く縁どられているのを見たことがあります。私は過越の名残ではないかと思います。それは神様の民のしるしであり、神様は犠牲の血によって、その家を救い出してくださることを示しています。

種なしパン

その日、パンを発酵させている時間がなかったことを思い出すために、パン種を入れないパンを食べます。そのパンはヘブライ語ではマッツァと呼ばれます。ユダヤ人は大掃除をして家の中から全てのパン種を取り除きました。それは年末に大掃除をし、お正月にはモチを食べる日本の習慣に大変似ていると思います。このように古代ユダヤ人の慣習を日本の中にたくさん発見することができます。