【キリスト教・宗教】私の信仰の歩み(4)

「イスラエル12部族に関する聖書預言と日本」というテーマに入る前に、どうしてそのようなことを考えることに至ったのかご理解いただくために、これまでの私の信仰の歩みをまとめています。今日はその(4)です。

ある伝道団体との出会い

この伝道団体では会員を集めたり、献金を集めたりせず、自分たちで役割分担をして、ある者は仕事をし、ある者はフルタイムでキリストの十字架と復活による救いを伝えていました。この団体では聖書の教えに忠実に従う生活を強調しますが、救いはキリストの十字架と復活によるという正統的なキリスト教(プロテスタント)神学に立っていると思いました。

牧師を辞めて宮城県へ

キリストの救いを伝える活動を彼らと一緒にしているうちに、自らを律するその生き方に共感しました。また無償で救いを伝える姿に、私も牧師として収入を得るのではなく、収入を得るための仕事は別にして、救いは無償で伝えるべきだと考え、牧師を辞めて、家族で宮城県に引っ越し、彼らと一緒に仕事をしながら、キリストの救いを伝える活動にも参加し、12年が経ちました。

キリスト教ではなく聖書の教え

この団体では、キリストを信じる信仰が中心だと教えられていますが、親に従うこと、嘘をつかないこと、ルールを守ること、一致を保つことなど、聖書の教えを守ることが大切であって、キリスト教の伝統、人の言い伝えを守ることではないということが教えられています。これまで、キリスト教の教えと聖書の教えは同じものだと思っていた私には驚きでしたが、確かにその通りだと思いました。

何が正しいことなのか

人は何が正しいことか明確に教えられれば、たとえ完全でなかったとしても、そのようにしようとするでしょう。だから、これが正しい生き方だと教えられることは大切だと思います。明確に教えられなければ、ただキリストを信じることが大切だと言われても、どう生きたら良いのか分からないので、その生き方が明確に変わらなかったとしても不思議ではありません。でも何が正しい生き方なのか。何を根拠に判断したら良いのでしょうか。もちろん聖書だと思いますが、聖書の解釈によっては、そこにも違いが出て来ると思います。

団体の教えと心に与えられる確信のはざまで

この団体で教えられているほとんどの教えには共感しました。多くのことを教えられたと思います。しかし、中には本当にそうなのかと思うこともありました。この団体の教えと私の心に与えられる確信の間で揺れ動く時期もありました。どちらが正しいのか。それが私の葛藤でした。しかし、同じ聖書を読んでいても、同じ神様を中心にしていても、生まれも育ちも国も違えば、心に感じることは違って当然ではないか。それが私の結論でした。ここまで来るのに10年くらいはかかっていました。

聖書を読みましょう

次回はいよいよ「日本人の信仰と聖書」に至ったいきさつについて書きたいと思います。もう少しお付き合いください。それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書はイスラエル人の歴史であり、日本人に深い関係があります。キリスト教とは切り離して、日本人として聖書を読んでみてください。

新約聖書 マルコによる福音書 12章28~34節

ひとりの律法学者がきて、彼らが互に論じ合っているのを聞き、またイエスが巧みに答えられたのを認めて、イエスに質問した、「すべてのいましめの中で、どれが第一のものですか」。

イエスは答えられた、「第一のいましめはこれである、『イスラエルよ、聞け。主なるわたしたちの神は、ただひとりの主である。心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。第二はこれである、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これより大事ないましめは、ほかにない」。

そこで、この律法学者はイエスに言った、「先生、仰せのとおりです、『神はひとりであって、そのほかに神はない』と言われたのは、ほんとうです。また『心をつくし、知恵をつくし、力をつくして神を愛し、また自分を愛するように隣り人を愛する』ということは、すべての燔祭や犠牲よりも、はるかに大事なことです」。

イエスは、彼が適切な答をしたのを見て言われた、「あなたは神の国から遠くない」。それから後は、イエスにあえて問う者はなかった。

神はひとり

「神はひとりであって、そのほかに神はない」。本当にその通りだと私は思います。キリスト教の神様とか、イスラム教の神様なんてないと思います。全ての宗教を超越して、神様はひとりしかいない。これが日本人の信仰ではないでしょうか。

神を愛し、隣人を愛して生きる

「心をつくし、知恵をつくし、力をつくして神を愛する」。全身全霊。いつでも、どんな時でも。どんな状況でも。どんな領域でも。仕事でも、人間関係でも、家庭でも。神様を中心にすること。でも、それは決して一人無我の境地にいるのではなく、「自分を愛するように隣り人を愛する」こと。それが神様を中心とした生き方ではないでしょうか。

どんな宗教行為よりも、はるかに大事

それは「すべての燔祭や犠牲よりも、はるかに大事なこと」。「燔祭や犠牲」とは宗教的な行為だと思います。つまり、どんな宗教行為よりも、はるかに大事なこと。明らかにイエスはそのように教えたのではないでしょうか。

いかがでしたか

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」