【人間関係】現状を打開する視点

解決が見えない人間関係の問題。視点を変えることで見えて来ることがあります。どのような視点を持ったら良いのか。「職場の人間関係を改善する効果的な視点の持ち方」という記事をご紹介いたします。参考にしてみてください。

視点を変える

職場の人間関係における問題は精神的に辛いため、問題の中にいると見えないことばかりです。しかし視点を変えると9割9分は解決策が見えてきます。それは自分が上司になって初めて、厳しくしてくれた昔の上司の気持ちが分かるのと同じです。

どうやって気づかせるのか

また相手が自分勝手に辛く当たってきている時、あなたに対する誤解や思い込みで動いている時など、それに気づかせることで、人間関係を改善に導く方法があります。これも視点を変えることがポイントになります。

「人の行動」にフォーカスする

人間関係を作るのが上手な人、人間関係のトラブルを解決するのが上手な人は、人の行動にフォーカスしています。例えば、あなたに辛く当たる上司がいるとします。そんな時、今までのあなたならどうしますか?

「なんで、こんな厳しい態度をとられなければいけないんだ」と考えますか。それとも「腹が立つ」と考えて気分が悪いまま過ごしますか。人の行動にフォーカスする人はこう考えます。「何がこういう厳しい言動を取らせているのか?」、「普通に接する。という行動をとってもらうためにはどうしたら良いか?」など。

相手の行動にフォーカスすることで、相手を動かすための具体的なアイデアが浮かんできます。同時に行動にフォーカスすることで、相手の気持ち、今置かれている状況にも目を向けることができます。

さらに相手の行動へフォーカスすると、相手の立場に立つことができるため、人間関係を改善しやすくなります。

それでは職場の人間関係を改善するために効果的なフォーカスの例をご紹介します。基本的に質問を使うとフォーカスしやすくなります。

相手の行動にフォーカスする例
  • 〇〇という行動をとってもらうためにはどうしたらいいか?
  • 〇〇という行動をやめてもらうためにはどうしたらいいか?など
相手を理解するために行うフォーカスの例
  • 今、どんな状態に置かれているだろうか?
  • 今、どんな気持ちでいるのか?
  • 相手の良いところを3つ上げるとしたら何か?
  • もし相手に感謝できることがあるとしたら何か?など(サイトからの引用は以上です。)
相手を理解する視点

こっちの気持ちも分かって欲しいと言う前に、相手の気持ちを分かろうとすること。これが人間関係が上手な人の特徴だと思います。それは自己中心を退けて、神様を中心にすることだと思います。神様を中心にすれば、人間関係の達人になって、より良い人生を送ることができるでしょう。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は宗教の戒律が記された教典ではなく、神様を中心にして生きようとしたユダヤ人の歴史の記録であり、日本人の生き方の源泉です。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きるために聖書を読んでみてください。

新約聖書 マタイの福音書 20章20~28節

そのとき、ゼベダイの子たちの母が、子どもたちといっしょにイエスのもとに来て、ひれ伏して、お願いがありますと言った。イエスが彼女に、「どんな願いですか」と言われると、彼女は言った。「私のこのふたりの息子が、あなたの御国(みくに)で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるようにおことばを下さい。」

けれども、イエスは答えて言われた。「あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていないのです。わたしが飲もうとしている杯を飲むことができますか。」彼らは「できます」と言った。イエスは言われた。「あなたがたはわたしの杯を飲みはします。しかし、わたしの右と左にすわることは、このわたしの許すことではなく、わたしの父によってそれに備えられた人々があるのです。」このことを聞いたほかの十人は、このふたりの兄弟のことで腹を立てた。

そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、言われた。「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者たちは彼らを支配し、偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい。

人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」

あなたの右と左に置いて欲しい

いよいよイスラエルの首都エルサレムが目前に迫っていました。イエスは自分の十字架の死と復活について弟子たちに話しましたが、ゼベダイの子たち、つまりヤコブとヨハネの母は二人の息子を連れて来て、イエスの右と左の位に置いて欲しいと願いました。「御国」とは、神様を中心にして生きるということではなく、イエスが王様になって新しい王国が始まると考えたのかもしれません。

権力を振るうことではない

神様を中心にして生きるとは、人々の上に権力を振るうことではなく、人々に仕えること、人々のしもべになることだと言うことだと思います。イエス自身、仕えられるためではなく、仕えるために来たのであって、人々が神様のもとに戻れるように、その代価として、自分の命を与えるために来たと言っています。これが十字架の死の意味だと思います。イエスは初めから、そのために歩んで来たのだと思います。

教えるだけでなく

私たちもまた、神様から与えられているそれぞれの使命を果たして生きること。人々の上に権力を振るうためではなく、人々のために生きること。それが人生の意味だと思います。イエスは口で教えるだけでなく、自らそのように生きる姿を示したのだと思います。

いかがでしたか

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「日本人の信仰と聖書について考える会」では、宗教ではなく、神様を中心として生きる幸いを多くの人たちに知っていただくために、パンフレット「今こそ伝えたい日本人の心」(1部10円。100部以上で送料無料。)を作成しました。ぜひ、知り合いの方にもお渡しください。ご協力をよろしくお願いいたします。

今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。