【人間関係】会話がはずむ

良好な人間関係を築くための秘訣。苦手な相手とも関係を改善するための秘訣。こうすれば必ずうまく行くという方法がある訳でもないと思いますが、何もできない訳でもないと思います。そんなヒントを今日も「『職場の人間関係・改善術』苦しみ続けた私に効果があった24の方法」というサイトから紹介します。参考にしてみてください。

少し大げさなリアクション

会話が楽しい相手とは自然にコミュニケーションが盛り上がり、人間関係も良好になります。特に自分が発した会話が盛り上がる時、人は3つの感覚を高く持ちます。

  1. 自己肯定感
  2. 共感
  3. 信頼感

そのためのポイントが少し大げさなリアクションです。初対面やストレスを感じる職場の人間関係でも高い効果を発揮します。使い慣れてくると、リアクションの強弱を自在に操れるようになり、あなたのコミュニケーションの幅、関わり方の幅が広がります。

具体例を以下に上げます。
  • 「えつ!そうなんですか!」
  • 「さすがっ!」
  • 「素晴らしい!!」
  • 「知らなかった」
  • 「うわ~すごいですね!!」
  • 「確かにっ」など
    (文字だとわかりにくい為、感嘆符や「っ」で強弱を表現しています)

普通に「そうなんですか」と返すよりも、少し驚き目で、感情を乗せながら「そうなんですかっ!」というニュアンスです。

この方法は自然に盛り上がり、会話にリズムが生まれますが、相手のタイプや話の内容によって、リアクションの強弱や使い分けが必要です。そしてストレスの高い職場の人間関係において使えば、大体の人はすぐに反応が変わります。あなたへの反発が激しい人でも、続けていれば反応が変わります。また笑顔と笑いを併用するとかなり効果的です。(サイトからの引用は以上です。)

楽しい雰囲気を感じさせる人

確かに楽しい雰囲気を感じさせる人っていると思います。思わずこちらもウキウキしてしまうような人だと思います。それぞれ性質もあると思いますが、いつも地味な話し方になってしまう人は、少しトーンを高くしても良いかもしれません。参考にしてみてください。

しかし、人間関係は目的ではない

でも、忘れないでいただきたいことは、決して良好な人間関係を築くことが人生の目的ではないということです。たとえ人間関係がうまく行かなくても、人生の幸いはあると思います。「人間関係が全て」とばかりに、人間関係が中心になってしまうと、むしろ人間関係もうまく行かなくなってしまうと思います。

大切なことは神様を中心にすること

自分の思いや願いを中心にするとうまく行きません。だからといって相手を中心にすれば振り回されて疲れてしまいます。神様を中心にして、神様の前に心安らかにして生きることが大切だと思います。そうすれば、目の前にいる苦手だと思っていた人も、実は心震えている一人の人であり、慈しむべき人であることが見えて来るのではないでしょうか。その人のために何かしてあげられることもあるかもしれません。神様を中心にして生きる人にはそれが出来るのではないかと思います。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は宗教の教典というよりも、神様を中心にして生きようとしたユダヤ人の記録であり、実は日本人の生き方に深い関係があると思います。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にした幸いな人生を生きるための参考として読んでいただきたいと思っています。

新約聖書 マタイの福音書 13章10~15節

すると、弟子たちが近寄って来て、イエスに言った。「なぜ、彼らにたとえでお話しになったのですか。」イエスは答えて言われた。「あなたがたには、天の御国(みくに)の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていません。というのは、持っている者はさらに与えられて豊かになり、持たない者は持っているものまでも取り上げられてしまうからです。

わたしが彼らにたとえで話すのは、彼らは見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、また、悟ることもしないからです。こうしてイザヤの告げた預言が彼らの上に実現したのです。

『あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが、決してわからない。この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、目はつぶっているからである。それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って立ち返り、わたしにいやされることのないためである。』

天の御国の奥義

イエスは群衆に「種のたとえ」を話され、「耳のある者は聞きなさい」と言われました。なぜ、たとえで話すのか、弟子たちはイエスに尋ね、イエスが答えました。このイエスの答えはどういう意味なのでしょうか。「天の御国の奥義」とは、「神様を中心にして生きる幸い」のことではないかと思いますが、それを知ることが許されている者と許されていない者がいるということなのでしょうか。「持っている者」とは、良心で神様の声を聞く耳を持っているということでしょうか。

一人でも多くの人に体験して欲しい

神様は全ての人に平等に良心を与え、全ての人に平等に語っていると私は思います。しかし、確かにその声を聞いて、神様を中心にして生き、その幸いを実感する人もいれば、そうでない人もいることは確かだと思います。私の願いは一人でも多くの人に神様を中心にして生きる幸いを体験していただきたいということです。そして、それは何かの宗教を信仰することではないということです。

いかがでしたか

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「日本人の信仰と聖書について考える会」では、宗教ではなく、神様を中心にして生きる幸いを多くの方に知っていただくために、パンフレット「今こそ伝えたい日本人の心」(1部10円。100部以上で送料無料。)を作成しました。ぜひお知り合いの方にお渡しください。ご協力をよろしくお願いいたします。

今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。

■お知らせ■ 今晩7時からです。皆さんお出でください!

2017年5月11日(木)19:00~20:00 泉パークタウンタピオ(仙台市泉区寺岡6丁目5-1)南館1階パークタウンスタイルで「古代史に見る日本人とユダヤ人の不思議な関係」と題してお話しいたします。入場無料、予約不要です。ぜひお出で下さい。詳しくはホームページのインフォメーションをご覧ください。