話を聞いてあげること
先週は相手の話を聞いてあげて、分かってあげることが良い人間関係を築く上で大切だという話をさせていただきました。その後、いかがでしょうか。話を聞いてあげると、人は心を開いてくれるのではないでしょうか。人は話を聞いてくれる人をこんなに求めているんだなあと実感された方もいらっしゃるのではないでしょうか。話を聞いてくれる人ってそれほど少ないのかと驚かれた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
率先して分かってあげること
どうぞ率先して話を聞いてあげる人、気持ちを分かってあげる人になれると良いのではないかと思います。それは多くの人々を助けてあげることができると思いますし、人から頼りにされるようになると思います。今日は「聞く技術」について、もう少し具体的に私が気を付けていることをお伝えします。参考にしてみてください。
相槌を打ちながら聞く
相手にとことん話していただくために私ができることは、私は話さないようにするということだと思います。実は私が話してしまうので相手は喋れないということに気づきました。私が口を閉じれば、相手は話せるようになりますね。そして、相手が話したら、「うんうん」「そうなの?」「へー」なんて言いながら、こちらの意見は差し挟まないで、とことん相手に話していただくようにすると良いと思います。
相手の言った言葉を繰り返す
でも、相槌だけでは会話が続かないというか、ちょっと不自然と感じるようであれば、相手の言葉を繰り返して言うと良いと思います。ある程度、相手の話を聞いたところで、相手の話をまとめて言っても良いと思いますし、話のポイントになる部分を「嬉しかったんだね」とか、「嫌な気分になったんだね」という感じで返してあげても良いと思います。これは相手がお年寄りとか子供の場合は特に効果的だと思います。ちゃんと話を聞いて受け止めてくれてるってことが伝わると思います。
言いたくても言えないところを言ってあげる
ポイントは味方になってあげることでした。話を聞いてあげることで、そのことを伝えることができると思いますが、さらに言いたくても言えないようなことを、こちらが言ってあげることは、積極的に聞いてあげるということになると思います。言い訳まで考えて言ってあげたり、それは無理もないと言って味方になってあげることができると思います。以上、これだけでは会話が不自然になってしまうので、時折意見を差し挟んでも良いと思いますが、これらのことを心に留めながら会話をされると良いのではないかと思います。どうぞ参考にしてみてください。それでは、今日も聖書の続きを読んで、神様に思いを向けましょう。
新約聖書 ルカの福音書21章5~9節
宮がすばらしい石や奉納物で飾ってあると話している人々があった。するとイエスはこう言われた。「あなたがたの見ているこれらの物について言えば、石がくずされずに積まれたまま残ることのない日がやって来ます。」
彼らは、イエスに質問して言った。「先生。それでは、これらのことは、いつ起こるのでしょう。これらのことが起こるときは、どんな前兆があるのでしょう。」
イエスは言われた。「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、『私がそれだ』とか『時が近づいた』とか言います。そんな人々のあとについて行ってはなりません。戦争や暴動のことを聞いても、こわがってはいけません。それは、初めに必ず起こることです。だが、終わりは、すぐには来ません。」
この世の終わり
エルサレム神殿は大きな石を積んで造られた、それはそれは荘厳な神殿だったようです。人々はその神殿を見て、圧倒されたことでしょう。しかし、イエスはこれらの物は全て破壊される日が来ると言われました。この約40年後のA.D.70年に、エルサレム神殿はローマ軍によって完全に滅ぼされたことが歴史上分かっていますが、このイエスの言葉は、単にエルサレムの陥落ということだけではなく、この世の終わりについて言及されたように思います。
普通に言われる言葉だと思います
今の世界はいつまでも続く訳ではない。この世界には終わりが来る。それは何か特定の宗教の教えではなく、多くの人が言っていることではないでしょうか。仏教でも末法思想と呼ばれる考えがあり、キリスト教でも終末思想という考え方があります。また、人々の倫理観、道徳観が低下し、世界情勢が悪くなることを、日本語では「世も末だ」とか「世も終わりだ」と一般的にも言うと思います。
益々自己中心的な世界になるのでしょうか
今の世界がいつまでも続く訳ではない。やがて世界の終わりが来るというのは決して特定の宗教の教えではないように思います。人々が神様の思いに背を向けて、自分の権利ばかりを主張するようになれば、益々この世界は悪くなり、結局は自分の首を絞めることになってしまうと私は思います。しかし、この世界は終わりに向かっているのだとすれば、神様を中心とした生活をする人は益々少なくなっていくのかもしれません。それでも、神様を中心とした生活をしてください。ここに全ての問題の解決がありますと私は伝えて行きたいと思います。