子供に日本人としての良識、常識を身に付けさせる

神様を中心とした生活とは、日本人としての良識、常識を身に付けること

子供の幸せのために、神様を中心とした生活を身に付けさせることが大切だと提案しています。日本人にとって、神様を中心とした生活とは、日本人としての良識と常識を身に付けることだと私は思っています。

日本人の優れた文化

皆さんもご存知のように、日本人の倫理観、価値観、その生活文化は世界中の人々から驚きとともに高く評価されています。それは神様を中心とした生活によってもたらされたところが大きいと私は考えています。子供達に神様を畏れ敬い、神様に感謝しつつ、日本人としての良識、常識を身に付けさせることが大切ではないでしょうか。

挨拶ができる子供に

たとえば、日本人は昔から挨拶することを大切にしてきたと思います。家族に対して、また近所の人たちに会ったら挨拶すること。子供達にしっかりと引き継いでいきたいものだと思います。

欧米の価値観に注意しましょう

最近では欧米の価値観の影響で、自分の意見をはっきりと主張すること、権利を主張することは良い事だというような風潮がありますが、日本人としての良識を失わないように注意したいものです。遠慮すること、慎み深いこと、それは大切なことだと思います。自分の権利を主張することばかり考えるのではなく、満ち足りることを覚え、与えられているものを感謝すべきだと私は思います。

自分より他人、和の精神、勤勉など

自分のことよりも他人のことを慮ること。それぞれ違う意見があっても、お互いに受け入れ合い、和を重んじること。勤勉であること。それが日本人の代名詞であった時代は過去のものとなりつつあるのでしょうか。そうだとすれば寂しいことだと思います。

神様と共に生活する日本人

このような価値観はもともと神様を中心とする生活から出て来たものだと思います。日本では古来より、人生の節目節目には神様に感謝をささげ、ご加護をいただくために、安産祈願に始まり、初宮詣、七五三詣、成人式、還暦などのお参りをしてきました。いつもその生活の中心に神様を意識することはとても大事なことではないでしょうか。

単なるご利益では自己中心です

それは単なるご利益ではいけません。自分の願いが叶えられれば良いというのであれば、それは自己中心でしかありません。神様はただ私たちの願いを叶える存在ではなく、私たちが神様の思いに従った生活をすることが大切だと思います。古くから日本人が大切にしてきた神様を中心とした生活を見直して、子供達にしっかりと受け継いで行くことが、子供の幸せのために、また日本、世界全体のために必要なことではないでしょうか。

神様に祈り、聖書を読むライフスタイルを身に付けさせる

そのような日本人のライフスタイルは古代イスラエル系渡来人の影響が大きくあったと考えられます。つまり、日本人の良識、常識について考える時に、聖書は大変参考になる書物だということです。毎日時間を決めて、子供達と一緒に神様に思いを向けてお祈りをし、年齢に合わせて聖書を読む習慣を身に付けさせることは大変有益だと思います。それでは今日も聖書の続きを読みましょう。

新約聖書 使徒の働き 4章1~4節

彼らが民に話していると、祭司たち、宮の守衛長、またサドカイ人たちがやって来たが、この人たちは、ペテロとヨハネが民を教え、イエスのことを例にあげて死者の復活を宣べ伝えているのに、困り果て、彼らに手をかけて捕らえた。そして翌日まで留置することにした。すでに夕方だったからである。しかし、みことばを聞いた人々が大ぜい信じ、男の数が五千人ほどになった。

「みことば」を聞いた人たちは大ぜい信じた

サドカイ人(びと)とはユダヤ人(じん)ですが、神殿の務めをする人たちのグループです。ここではエルサレム神殿の責任を持っている人たちが一同にやって来て、群衆にこれまでのユダヤ教とは違う話をするペテロとヨハネを捕らえたということでしょう。しかし、「みことば」を聞いた人たちは大ぜい信じて、男の数が五千人ほどになったとあります。

なぜペテロの言葉ではなく「みことば」なのか

「みことば」とは、神様のことばという意味ですから、単にペテロの言葉を聞いたということではなく、ペテロの言葉を通して、神様からの語りかけを聞いたという意味なのかもしれません。

神様からのことば

つまり、それはペテロの言葉の巧みさではなく、一人ひとりが神様から、これは確かなことだという確信を与えられたということを言っているのかもしれません。キリスト教ではこう教えている。仏教ではこう教えている。それも大事なことかもしれません。大いに参考にしたら良いと思います。しかし、最終的には誰かがああ言った、こう言ったということではなく、一人ひとりが神様からのことば、神様からの確信を与えられることが大切ではないかと私は思っています。

子供達をそのように育てる

子供達が目指す姿はそういう姿ではないでしょうか。その姿を目指して、子供達と毎日時間を決めて、神様に思いを向けて祈り、聖書を開く。親としてそれぞれ確信するところを子供達と分かち合う。そのように神様を中心として子供達の心を育んでいけたらと願っています。皆様の祝福を心からお祈り申し上げます。