子供に何が良い事か明確に教える
子供に従順な性質を身に付けさせることは子供の幸せのために大切だと思います。どのように身に付けさせたらよいのでしょうか。まず、親に従うことは良いことであり、神様に喜ばれることだと明確に教えることが大切です。親に反抗することは悪いことであり、神様に喜ばれないことだと教えてください。子供は自分の良心で、それは正しいと理解すると思います。
子供の幸せのために一貫して教える
ただし、一貫して教えることが大切だと思います。ある時は指導されて、ある時は指導されない。その基準は善悪ではなく、親の気分だということになれば、親自身が神様を中心としていませんし、子供は混乱すると思います。ですから、親は無暗に子供に命令するのではなく、あくまでも子供自らが善悪を身に付けることができるようになるために、神様を中心とした生活をすることができるようになるために、親の都合ではなく、子供の幸せのために指導してください。
言葉だけで従わない場合は罰も必要
親の指導が一貫していれば、子供は大人が考えているよりもずっと素直に従順な性質を身に付けると思います。それが私の実感です。まだ小さいから無理だと思わない方が良いと思います。それでも、従わないで反抗する場合はどうしたら良いでしょうか。子供はそれが悪いと分かっているのに従わないのですから、そのような場合は罰が必要だと思います。
罰には2つの意味があると思います
大人でも、それが悪いと分かっていても、たとえば交通法規を守らない人はいると思います。どれほど悪いことなのか分かっていないのであれば、講習も必要だと思いますが、やはりそれだけでは違反はなくならないと思います。罰則には2つの意味があると思います。1つは、実際に秩序を保ち、社会の平和に貢献します。もう1つは、それによって本人が自制心を身に付けることができるようになると思います。罰はある程度懲りるような内容でなければ効果がないと思います。
親ではなく神様を中心にする
親が怖いから、親の顔色を窺って従うのは良くないと思います。ですから子供を指導する時には、感情的にならないように、冷静に、温かく、愛情をもって、でも正しくないことはいけないと毅然とした態度で教えることができると良いと思います。そうすれば子供は神様を中心にして、自ら正しく生きようとする心を育てることができると思います。
本当の自由
このようにして神様を中心にして生きることを身に付けた子供は本当に自由な子供だと思います。自己中心を抑えることができない子供になってしまったら、本当に不自由な子供であり、最悪の場合、牢屋に入れられて他人に管理されなければならない人になってしまうと思います。そこで神様を中心にすることを覚えることができるなら、それも良いのかもしれませんが、そうなる前に神様を中心にすることを身に付けさせてあげたいと思います。それでは今日も聖書の続きを読んで、神様を中心にすることを考えてみましょう。
新約聖書 ルカの福音書22章24~30節
また、彼らの間には、この中でだれが一番偉いだろうかという論議も起こった。すると、イエスは彼らに言われた。「異邦人の王たちは人々を支配し、また人々の上に権威を持つ者は守護者と呼ばれています。だが、あなたがたは、それではいけません。あなたがたの間で一番偉い人は一番年の若い者のようになりなさい。
また、治める人は仕える人のようでありなさい。食卓に着く人と給仕する者と、どちらが偉いでしょう。むろん、食卓に着く人でしょう。しかしわたしは、あなたがたのうちにあって給仕する者のようにしています。
けれども、あなたがたこそ、わたしのさまざまの試練の時にも、わたしについて来てくれた人たちです。わたしの父がわたしに王権を与えてくださったように、わたしもあなたがたに王権を与えます。それであなたがたは、わたしの国でわたしの食卓に着いて食事をし、王座に着いて、イスラエルの十二の部族をさばくのです。
どうして誰が一番偉いなんて話になったのでしょう
弟子たちはイエスが語った世の終わりの話を正しく理解していなかったのかもしれません。イエスはいよいよ王様になって、その弟子として付いて来た自分達も高い位に付く。その場合、誰が一番で誰が二番なのか決めておいた方が良いだろうということになったんでしょうか。
人格者に求められる資質
でも、イエスはそのことには触れずに、一番偉い人は若い者のように、治める人は仕える人のように、また給仕する者のようになりなさいと教えました。これは神様を中心とする考え方だと思います。もし自分に権威や権力が与えられているとしたら、それは自分の欲望を満たすためではなく、神様の思いを実現するために行使するべきものだと思います。
日本人が大切にして来た資質
いつも、もし自分が一番の若手なら、もし仕える人ならと考えることが大切ではないでしょうか。それが優れた武将であり、優れた日本の先人であり、偉人ではないでしょうか。日本人はそのような資質を大切にして来たのではないでしょうか。自分の立場を利用して権力を振り回すような人では、日本人としては情けないですよね。