虐待としつけ、境目は?(その2)

山中に置き去りにする以外にどんな方法が考えられるのか

山中に置き去りにするという方法は適切ではなかったと私は思います。子供が言葉だけでは親の指導に従わない時、どうしたら良いのでしょうか。日本人としての正しい指導方法について分かれば、より良い結果が得られると思います。

虐待としつけ、親の都合か、子供のための教育か

虐待としつけ、境目はどこにあるのか。それは子供の教育を意図して行われているのかという目的によるということを昨日書きしました。北海道の山中に置き去りにされた子供の場合、それはしつけだったのか、虐待だったのか。それは子供の成長と幸せを願って、教育的に、計画的に成されたものであったのか。それとも親の都合であったのか。その目的と意図を検証する必要があると思います。単に親がしつけだったと言っているからと言って、それが意図的、計画的な教育であるという理解の上で、しつけと言っているかどうかは分からないからです。

教育であるなら、その方法は適切かどうかを吟味する

しかし、意図的、計画的な教育だったとしても、その指導方法は適切であったのかどうかということは、また別の問題として検証されなければならないと思います。昨日も書きましたように、誇り高い日本人として教育するためには、どんなに小さい子供であっても、誇り高い存在として接することが大切です。山中に置き去りにするという方法は、その点で適切ではなかったと私は思います。

罰則は必要。でも、子供の尊厳を失わせるもの、親の愛情を疑わせるものは不適切です

それでは、言葉だけでは子供が悪い行いを止めない時、どのような指導方法が考えられるのでしょうか。すでに言葉の指導は行われているので、子供はすでにそれが良くない行為であることを理解しています。それでも敢えてその行為をしている訳ですから、そういう段階であれば罰則が必要だと思います。しかし、その罰則も子供の尊厳を失わせるような、または親の愛情を疑わせるような、そのような方法は適切ではありません。

罰則とはどういうものなのか

まず、子供に悪い行為による罰則であることを理解させる必要があります。憎しみや親の都合ではなく、子供の幸せのためであり、誇り高い日本人として成長するためであることを理解させる必要があります。そして、それに相応しい罰則でなければなりません。山中に置き去りにする。家の外に出す。暗い部屋に入れる。顔を殴る。冷たい言葉をかける。辱める。そのような罰則は相応しくないと思います。

日本人はそんな時、お尻を叩いてきました。良いお尻の叩き方とは

日本人はこのような場合、よくお尻を叩いてきたんだと思いますが、私はそれは良い方法だと思います。子供をうつ伏せに寝かせ、お尻を出させ、棒のような物で、1回、2回と回数を決めて痛く叩くことが良いと思います。子供に悪い行いを止めて欲しいから、お尻を叩くこと。子供を愛しているからこそ叩くことを話してください。お尻を叩かれれば、その時は痛いですが、お尻であれば怪我をする危険性は低いと思います。顔や頭を叩かないでください。それは辱める行為になる危険性があります。あくまでも子供の尊厳を大切にし、悪い行いに対する罰則であり、子供に対する仕返しではないことが子供自身にも分かるようにすることが大切だと思います。私は手で叩くより棒の方が良いと思います。手は子供を優しく包む物であって罰則を与える物としては相応しくないと私は思います。そして、罰則が終わったら、しっかりと抱きしめ、もう悪い行いはして欲しくないことを伝えると良いと思います。

知恵の王ソロモンの言葉

知恵の王様と言われたソロモン王はこのような言葉を残し、それが聖書に収められています。「わが子よ。あなたの父の命令を守れ。あなたの母の教えを捨てるな。それをいつも、あなたの心に結び、あなたの首の回りに結びつけよ。これは、あなたが歩くとき、あなたを導き、あなたが寝るとき、あなたを見守り、あなたが目ざめるとき、あなたに話しかける。命令はともしびであり、おしえは光であり、訓戒のための叱責はいのちの道であるからだ。」

これこそ日本人の知恵

このような聖書の教えが日本には古来から生活の中で引き継がれていると思います。どうぞご自身でも聖書を読んでみてください。