結婚とは何か。神様を中心に考えるなら

結婚に関する格言、名言

なるほどなあ、と思ったものをいくつかご紹介いたします。

幸せな結婚の秘訣は、どれだけ相性が良いかではなく、相性の悪さをどうやって乗り越えるかにある。 ジョージ・レビンガー(米国の心理学者)

妻は自分ひとりの情熱を持ってはいけない。真面目と冗談、憂鬱と笑いを夫と分かちあわなくてはならない。 プルタルコス(帝政ローマのギリシア人著述家 / 46頃~127頃)

もし結婚生活が暗礁に乗り上げそうになったら、自分の伴侶の好ましいところと、夫や妻としての自分の至らないところを表にして比較してはどうか。人生の転機となるかも知れない。 デール・カーネギー(米国の実業家、ビジネスセミナー講師 / 1888~1955)

自分の妻や夫を自分の思うように変えようなどと思ってはいけません。その試みは愚かです。そんなことができると思ってはなりません。人は自分で変わろうと思わないかぎり、変わることなどできはしないのです。 ジョセフ・マーフィー(アイルランド出身の宗教者、著述家 / 1898~1981)

同床異夢(どうしょういむ)とは、同じ布団で寝ていても同じ夢は見られないことです。愛の情熱は三年位しか続きません。夫婦は苦楽を共にして愛情を持ち続けるのです。 瀬戸内寂聴(日本の女性小説家、天台宗の尼僧 / 1922~

口やかましい妻というのは、夫の注意や感謝を望んでいるのです。つまりは愛情を渇望しているのです。彼女の美点はほめたたえなさい。彼女に注意し、感謝していることを示しなさい。 ジョセフ・マーフィー(アイルランド出身の宗教者、著述家 / 1898~1981)

現代の女性は、あらゆることを理解する。ただ、自分の亭主のことだけは理解しない。 オスカー・ワイルド(アイルランドの詩人、作家、劇作家 / 1854~1900)

良い結婚を継続させるために

いかがでしょうか。良い結婚を継続させるためには、それなりに努力が必要だと感じている人が多いようですね。でも、それを愛と呼ぶのではないかと私は思います。そして、そのような努力によって、私たちはお互いに人間的に成長することができるのではないかと思います。

何のための努力なのか

その努力は何のための努力であるのか自覚しているかどうかは重要なことではないでしょうか。目的が明確でなければ、努力そのものが馬鹿らしく感じてしまう危険性もあると思います。特に、その困難が大きく感じ、自分には乗り越えられないのではないかと感じる時にはそうだろうと思います。

神様を中心にする

神様を中心にすることが大切だと思います。それが結婚の究極的な目的だと思います。そのために二人が力を合わせるなら、乗り越えられない困難はないと思います。それでは今日も聖書の続きを読んで、神様に心を向けましょう。ここに結婚の目的も、人生の目的もあるからです。神様を見失うなら、目的を見失ってしまうことになると思います。

新約聖書 ルカの福音書23章6~12節

それを聞いたピラトは、この人はガリラヤ人かと尋ねて、ヘロデの支配下にあるとわかると、イエスをヘロデのところに送った。ヘロデもそのころエルサレムにいたからである。ヘロデはイエスを見ると非常に喜んだ。ずっと前からイエスのことを聞いていたので、イエスに会いたいと思っていたし、イエスの行う何かの奇蹟を見たいと考えていたからである。

それで、いろいろと質問したが、イエスは彼に何もお答えにならなかった。祭司長たちと律法学者は立って、イエスを激しく訴えていた。ヘロデは、自分の兵士たちといっしょにイエスを侮辱したり嘲弄したりしたあげく、はでな衣を着せて、ピラトに送り返した。

この日、ヘロデとピラトは仲よくなった。それまでは互いに敵対していたのである。

イエスをヘロデのところに送る

ヘロデはユダヤ人の王で、当時、ガリラヤ地方を管轄していました。ローマ総督のピラトはイエスは無罪だと思っていましたが、祭司長、律法学者たちが激しくイエスを訴えるので困っていたと思います。そこにヘロデの話が持ち上がり、これで自分は責任を逃れられると思ったのかもしれません。

ヘロデは興味本位だった

ヘロデはイエスを見て非常に喜んだとあります。しかし、ヘロデはイエスを決して人となった神様として受け入れた訳ではなかったと思います。それは興味本位であり、いろいろ質問しましたが、イエスは何もお答えにならなかったとあります。その間も祭司長や律法学者たちはイエスを激しく訴えていました。イエスが何も答えないので、ヘロデはイエスを馬鹿にし、はでな衣を着せ、ピラトに送り返しました。

ヘロデとピラトは仲よくなった

この日、ヘロデとピラトは仲よくなったとあります。なぜ、仲よくなったのか良く分かりませんが、何かイエスのことを巡って、お互いの益となることがあったのかもしれません。少なくとも、ヘロデは祭司長や律法学者たちのように、イエスに憎しみを持っていた訳ではなさそうです。

神様に真実に向き合う

大切なことは神様に対する態度ではないでしょうか。単なる興味ではなく、神様に対して、真実に向き合うことが大切ではないでしょうか。それはキリスト教徒になるとか、何かの宗教を信仰するということではありません。大切なことは神様に対する心の態度だと思います。神様に対してどう生きるのかということだと思います。