恋愛、結婚を神様を中心に考える

どんな悩みがありますか

恋愛、結婚は人生の大きなテーマですね。自分の思いではなく、神様の思いを中心に考えることが大切だと思います。結婚について、皆さんはどんな悩みを抱えていらっしゃるのでしょうか。ネットで検索していたら、こんな悩みがあってびっくりしました。

ネットでの悩み相談の内容

夫の全てが無理になりました。毎日死んでほしいと思い、何の連絡もなく毎日仕事?で朝に帰ってくる夫の気配を感じるだけで、動悸息切れがし、罪にならないなら殺したいとまで思ってしまいます。子供がいるので、わずかな理性でまだ実行こそはしていませんが、いつかやってしまうんじゃないかと怖くなります。

ここまで来ると心配ですね

相手を嫌いになってしまうと「もう無理」というところまで行ってしまうのかもしれません。確かに私たちには感情があります。でも、感情を中心にしてしまったら、大問題になっちゃうと思います。感情を中心にしないようにしましょう。でも、感情を中心にしないなんて、できるの?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんね。私はできると思います。感情ではなく、神様を中心にすることです。

神様を中心にすると決めること

この方も「わずかな理性で」とおっしゃっていますが、そこが大切だと思います。でも、このままでは改善しないでしょう。神様の前に正しく生きること。自分の思いではなく、神様の思いを選び取ることを心に決めることが出発点だと思います。お互いに溝が深まってしまってから、それを修復するのは大変な努力が必要だと思いますが、神様も助けてくださると思います。

感情的に最悪になる前に

できれば、感情的に最悪の状態になる前に、嫌いにならないための努力、むしろ好きになるための努力をした方が良いと思います。気になることがあるなら、お互いに話し合い、意見交換をし、配慮することも大切だと思います。お互いに自分を主張するだけでは、それは自己中心であり、解決はないと思います。

少し距離を置く

このサイトの回答者は、「相手に触れてほしくない。会いたくもない。生理的にムリ!!と思ってしまう時は、無理に接する必要はありません。適度に距離をとって、自分の気持ちが納まるのを待ったほうがいいかもしれません。」と回答していますが、私も同感です。感情を中心としないで、ということだと思います。でも、そうなる前に、お互いに神様を中心とした生活をしていたら良かったのになあと思います。

日頃から神様を中心にしましょう

それでは聖書の続きを読みましょう。問題が起こってからではなく、日頃から神様を中心にすることを考えてみてください。それは何か特定の宗教を信仰するということではありません。神様を意識し、自分の思いではなく、神様の思いを中心にして生活することです。

新約聖書 ルカの福音書22章31~34節

シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」

シモンはイエスに言った。「主よ。ごいっしょなら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」 しかし、イエスは言われた。「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」

神様の制限付き、でも困難はある

シモン・ペテロとはイエスの12人の弟子の筆頭でした。イエスはシモンに、悪魔があなたがた弟子たちをふるいにかけることを願って聞き届けられたと言われました。悪魔も神様の許可がなければ、私たちに手出しできないことが分かります。そして、神様はそれを許可されました。つまり、私たちには困難や苦しみが起こり得ますが、それは神様の制限付きだということでしょう。このように神様の視点で私たちの生活を見ることが大切だと思います。

困難によって練られる

なぜ、神様は私たちに困難や苦しみを許されるのでしょう。それは「ふるいにかける」と表現されていることから想像すると、私たちから不純物を取り除くためではないでしょうか。確かに私たちの品性は困難を通して練られると思います。誰も困難を望む人はいないと思いますが、自分の人生を振り返って見ても、やはり困難を通して成長して来たと思います。

悪魔も役に立っている!?

私たちが神様から目を離さないでいるなら、悪魔も神様の目的のために役立っているようですね。目の前の現象や感情に目を奪われないで、それらを許可している神様に目を留めることが大切だと痛感します。神様には良い計画があると思います。

絶望の先にあるもの

「あなたの信仰がなくならないように祈った」とイエスは言われました。信仰とは神様に目を留めることでしょう。シモンも一度は絶望してしまうのかもしれません。でも、神様に絶望するのではありません。自分に絶望し、むしろ神様の力を知って必ず立ち直る。その時には、以前のシモンではありません。不純物が取り除かれたシモンは、兄弟たちを力づけることができる人になっているのだと思います。このように神様を中心とするなら、困難にも意味があることを思います。

自分に絶望した人だけが知る神様の力

この時まだシモンは、自分は大丈夫だと思っていたのでしょう。「覚悟はできています」と言いました。しかし、イエスはそれを完全に否定しました。やがて、シモンは当てにしていた自分の力に絶望することになります。でも、自分に絶望した時に、本当の意味で神様の力を知ることができるようになるのではないかと私は思います。

皆がシモン・ペテロのような経験をする訳ではないと思いますが

それぞれの人生の歩みの中で、困難はそれぞれにあると思います。すでに自分の力に絶望する程の経験をした方もいらっしゃるかもしれません。「私にはもう無理」という方もいらっしゃるかもしれません。それは本当に神様を体験する時だと思います。神様を中心にしましょう。