【特集】古代ユダヤ人ゆかりの地を巡る旅(諏訪大社)

2018年8月6日~16日の10日間。出雲大社、剣山、大避神社、諏訪大社を訪れました。今日は諏訪大社です。今回の旅のレポートの最終回となります。

来てみて分かること

諏訪大社地図

出雲大社もそうでしたが、当初、出雲大社は伊勢神宮と双璧をなす日本の神社だからという理由で、今回の訪問地としました。しかし、昨日のブログでご紹介した通り、実際に出雲大社に来てみると、そこは古事記の舞台であり、古代イスラエル系渡来人と深い関係があることを感じました。また、諏訪大社もそうでした。もちろん、以前にこのブログでも、私の新しい著書「日本人の幸せ」でもご紹介しているとおり、諏訪大社には古代イスラエル系渡来人の痕跡を残す祭りがあり、そのための資料集めが今回の旅の目的でしたが、来てみると、諏訪大社は上の地図のように4つあり、諏訪湖の北と南に位置しており、諏訪は諏訪大社の町であることを肌で感じました。

前宮

諏訪大社前宮

本宮

諏訪大社本宮

下社秋宮

諏訪大社下社秋宮

下社春宮

諏訪大社下社春宮

また、昨日ご紹介したとおり、諏訪大社は出雲大社と深いつながりがあり、有名な御柱祭も古代出雲の巨大神殿と関連がありそうだと感じました。

本宮御柱

(引きずったために、平らにすり減っているのが分かります。このような柱が各社4本ずつ、計16本立っています。)

本宮御柱

やっぱり実際に来てみないと分からないことってありますね。今回、そのことをしみじみと感じました。皆様もぜひご自分でその地を訪れてみてください。

守矢家の信仰

守矢資料館入り口

諏訪大社前宮と本宮の中間に守矢史料館があります。ここの館長さんとお話しすることができましたが、諏訪大社の信仰は、もともとは守矢家の信仰だったとおっしゃっていました。

守矢史料館しおり

守矢家は現在も続いており、史料館で購入したしおりで、78代目の守矢早苗氏がこのように書いています。

「諏訪盆地には、『古事記』に書かれた出雲の国の国譲神話とは別にもうひとつの国譲神話がいい伝えられています。そのことは、室町時代初期に編まれました『諏訪大明神画詞(えことば)』などに記されています。それによりますと、大和朝廷による日本統一以前の話になりますが、出雲系の稲作民族を率いた建御名方命(たけみなかたのみこと)がこの盆地に侵入しました時、この地に以前から暮らしていた洩矢神(もりやのかみ)を長とする先住民族が、天竜川河口に陣どって迎えうちました。・・・結局、洩矢神は負けてしまいました。・・・さて、出雲から侵入した建御名方命は諏訪大明神となり、ここに現在の諏訪大社のはじまりがあります。・・・しかし、先住民である洩矢の人々はけっして新しく来た出雲系の人々にしいたげられたりしたわけではありませんでした。・・・建御名方命の子孫である諏訪氏が大祝(おおほうり)という生神(いきがみ)の位に就き、洩矢神の子孫の守矢氏が神長(じんちょう)という筆頭神官の位に就いたのです。大祝は、古くは成年前の幼児が即位したといわれ、また、即位に当っての神降ろしの力や、呪術によって神の声を聴いたり神に願いごとをする力は神長のみが持つとされており、・・・この地の信仰と政治の実権は守矢が持ちつづけたと考えられます。」

みさく神(ミシャグチ様)

みさく神の社

この写真は守矢家敷地内にある「みさく神」を祀った御頭御社宮司(おんとうミシャグチ)総社ですが、守矢早苗氏はこう書いています。

「諏訪大社の祭政体はミシャグチ神という樹や笹や石や生神・大祝に降りてくる精霊を中心に営まれます。家ではミシャグチ様と呼んでいましたし、多くの呼び名や当て字のある神様ですが、ここではミシャグチ神とします。そのミシャグチ神の祭祀権を持っていましたのが神長であり、・・・祭祀をとりしきっていました。」

つまり、諏訪の地では出雲から建御名方命が来る以前から、「みさく神」が信仰されていて、今も「みさく神」が信仰されているということです。実際に諏訪大社の4社に本殿はなく、信仰の対象は「守屋山」とされています。それは守矢の神であり、「みさく神」であり、姿形の見えない神です。以前にもこのブログや、私の著書「日本人の幸せ」でも紹介しましたが、それはイスラエルの神であると考えられます。「モリヤの山」とは、エルサレムのことであり、「みさく神」とは、ヘブライ語で「イサクに由来する神」という意味であることからも分かります。洩矢家はイスラエル系渡来人であり、祭祀を司るレビ族、または祭司の家系であったのではないでしょうか。実際に神の超自然的な力が洩矢氏を通して働いていたことが分かります。出雲から来た建御名方命もまたイスラエル系渡来人であり、諏訪の地を統治しましたが、洩矢家をレビ族、祭司として重んじたのではないでしょうか。

御頭(おんとう)祭

守矢史料館には菅江真澄のスケッチに基づいた御頭祭の復元が展示されています。

御頭祭スケッチ

以前にもこのブログや私の著書「日本人の幸せ」で紹介しましたが、この御頭祭は御柱よりも以前から行われている諏訪大社の中心的な祭であり、守矢家の祭であり、それは聖書のアブラハムとイサクに由来する祭です。守矢史料館のしおりにはこのように記されています。

「神長守矢が司る諏訪大社上社の祭祀のうちもっとも大がかりでかつ神秘的なのは御頭祭である。・・・その祭りの様子を今から二百二十年ほど前の天明四年に見聞した菅江真澄は次のように書き残している。『そこには(十間廊)なんと鹿の頭が七十五、真名板(まないた)の上に並べられていた。

守矢史料館の鹿の頭

その中に、耳の裂けた鹿がある。

耳の裂けた鹿

この鹿は神様が矛(ほこ)で獲ったものだという。・・・大勢の神官が皆敷皮の上に並んでこの供物を下ろして食べる。・・・その時、長さ五尺あまり幅は五寸ほどで、先のとがった柱を押し立てる。これを御杖(おつえ)とも御贄柱(おにえばしら)ともいう・・・

御贄柱

御神(おこう)といって、八歳ぐらいの子供が紅の着物を着て、この御柱にその手をそえさせられ、柱ごと人々が力を合わせてかの竹の筵(むしろ)の上に押上げて置いた。・・・そこへ上下を着た男が藤刀(ふじかたな)というものを小さな錦の袋から取り出し、抜き放って長殿に渡す。

藤刀

・・・木綿襷(ゆうだすき)をした例の神官が、刀を柱のてっぺんに当て、刻みつけ、さわらの枝・柳の枝・象(きさ)の小枝などを例の縄で結いつける。・・・例の神の子供達を桑の木の皮を縒り合わせた縄で縛り上げる。その縄で縛る時、人々はただ『まず、まず』と声をかける。・・・いよいよ祭りは最高潮となる。諏訪の国の司から使者の乗った馬が登場する。・・・そして、長殿の前庭で先に桑の木の皮で縛られてきた子供達が解き放たれ、祭りは終わった。』」

まさにアブラハムがモリヤの山(エルサレム)で、息子イサクを生贄として神にささげようとした時に、神の使いがそれを制止し、イサクを解放し、その代わりに羊を与えたという聖書に記された出来事に重なります。その羊は神が備えたと聖書に記されており、モリヤの山は「アドナイ・イルエ」(神の山に備えあり)と呼ばれるようになったとあります。

いかがでしたか

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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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