【日本とイスラエル】秀吉の朝鮮出兵

書籍「失われた十部族の足跡」

日本とイスラエルに関連する内容について、アビグドール・シャハン著「古代日本に辿り着いたユダヤ人・失われた十部族の足跡~イスラエルの地から日本まで」からご紹介いたします。

明皇帝の提案

日本軍が明にとってどれほどの脅威だったのかを物語るエピソードがある。明の皇帝は日本軍と戦う軍隊を派遣すると同時に、秀吉と交渉を行うための使者を日本に派遣しているが、その時に日本軍が朝鮮から撤退する見返りとして、日本の天皇には「明皇帝の保護下にある日本王という称号を与える」と提案した。

秀吉の計画の第二段階

しかし、・・・秀吉は明皇帝の皇女を天皇の后として送ることを要求、それはつまり、二つの帝国が日本の天皇の支配下に統合されることを意味したのである。こうして明の使者は何の成果もないまま帰国することとなった。朝鮮出兵から四年が経過した1597年、秀吉は計画の第二段階 -明の支配― を実行するために追加の軍隊を朝鮮半島に派遣した。

清王朝の設立

秀吉がどれほど鋭い歴史的、国家的な視点を持っていたかは、その後の歴史が証明をしている。彼が朝鮮に出兵をしてから約五十年後、日本民族よりも小さく、軍事能力や機知においても日本に劣る満州民族が、1644年、衰えた明朝が支配する中国に侵入した。その後、満州民族は約250年にわたって中国を支配する清王朝を設立したのである。

徳川家康

秀吉の死後、日本の政権を握ったのは秀吉の家来の一人であった徳川家康である。彼は抵抗する者たちの土地を取り上げて、自分に忠実な者たちに分配し、自ら公地の五分の一を支配、三人の息子を大名に任命して、その土地を分け与えた。また家康自身も天皇によって将軍に任命された。以後260年、19世紀半ばに至るまで「将軍」の称号は徳川の家系の者のみで継承されていったのである。

徳川家の支配

彼は地位を確立すると、徳川家による日本支配を揺るがないものにするため、皇室にまで干渉するようになる。彼の苗字を「トホ・ガアヴァ」と読めば、ヘブライ語で「彼の中には思い上がりがある」の意になるが、彼の行動がその名前を証明しているかのようである。

天皇家をも支配する

家康は天皇にそれまでの約二十倍の領地を与えるが、しかし天皇から政治的権力を完全に奪い、まるで囚人かのように扱い、天皇の子孫さえその手で自由にしようとした。家康は政令を出し、天皇が御所の外に出ることも、御所の外で人に会うことも、天皇家の者が結婚をすることも、すべて将軍の許可を得なければならないと定めたのである。

残酷な法令

また天皇の子孫たちは御所の外に住み、天皇は年に一度だけ彼らと会うことができた。さらに残酷な法令は、天皇は皇太子のみの出産をゆるされ、もし第二子以降の子供ができた場合は、皆出家させなければならない、というものであった。この法令は260年にわたる徳川時代、時に厳しく、時に柔軟に実行された。(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本の文化、伝統、歴史、国民性のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を開く時、そこに古くて新しい発見があることでしょう。

新約聖書 ヨハネによる福音書 20章1~10節

さて、一週の初めの日に、朝早くまだ暗いうちに、マグダラのマリヤが墓に行くと、墓から石がとりのけてあるのを見た。そこで走って、シモン・ペテロとイエスが愛しておられた、もうひとりの弟子のところへ行って、彼らに言った、「だれかが、主を墓から取り去りました。どこへ置いたのか、わかりません」。

そこでペテロともうひとりの弟子は出かけて、墓へむかって行った。ふたりは一緒に走り出したが、そのもうひとりの弟子の方が、ペテロよりも早く走って先に墓に着き、そして身をかがめてみると、亜麻布がそこに置いてあるのを見たが、中へははいらなかった。

シモン・ペテロも続いてきて、墓の中にはいった。彼は亜麻布がそこに置いてあるのを見たが、イエスの頭に巻いてあった布は亜麻布のそばにはなくて、はなれた別の場所にくるめてあった。すると、先に墓に着いたもうひとりの弟子もはいってきて、これを見て信じた。

しかし、彼らは死人のうちからイエスがよみがえるべきことをしるした聖句を、まだ悟っていなかった。それから、ふたりの弟子たちは自分の家に帰って行った。

なくなったイエスのからだ

「一週の初めの日」とは、安息日が明けた日曜日のことです。確かにイエスが葬られた墓の中に、そのからだがなかったということを言っているのだと思います。ここには何人もの目撃者の証言が記されているということだと思います。イエスのからだは確かに墓の中になかったのです。「これを見て信じた」というのは、マグダラのマリヤの証言、つまり、「墓の中にイエスのからだがないこと。誰かが持ち出したのではないかということ。」を信じたということでしょう。しかし、イエスはよみがえると聖書に預言されていることを彼らはまだ悟っていなかったとあります。誰かが持ち去ったのではなく、よみがえった。それは聖書の預言だったということを言っているのだと思います。

いかがでしたか

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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