【日本人と日本文化】「愛と狂瀾のメリークリスマス」を読んで

愛と狂瀾のメリークリスマス表紙

堀井憲一郎著「愛と狂瀾のメリークリスマス~なぜ異教徒の祭典が日本化したのか」を興味深く読みました。日本のクリスマスの歴史を新聞、雑誌などの記事を丹念に調べて、その変遷を辿っています。やっぱりそうだったのかと大変共感を持って読みました。

戦後に始まったものではない

クリスマスだけでなく、日本に西欧文化が入って来たのは、戦後に始まったことではないことを改めて確認しました。明治、大正、昭和初期にもクリスマスのバカ騒ぎは行われていて、第二次世界大戦中は一時的に影を潜めましたが、西欧文化を謳歌する日本人の姿は戦前からあったことが分かります。

日本人の国民性を破壊したのは欧米の個人主義

そうすると、日本人の国民性を破壊したのは単に西欧文化を楽しむということではなく、やはり戦後に入って来た個人主義なんだなと思いました。日本人が日本人の心の軸をしっかり持っている限り、西欧文化を楽しんだところで害はそれほどなかったのでしょう。ところが、戦後、個人主義が良い物であるかのように入って来たことによって、日本人の心が蝕まれてしまったのだろうと思います。

本当の唯一神教とは

それから、著者は本書の最後でこのように書いています。「日本人は、言葉にしていないが『ニホン的な守るもの』を抱えている。だからこそ、海外発信の祭りで無意味な大騒ぎができるのだ。一神教の教徒には理解できないかもしれないが(私たちだって一神教は理解できない)、これはこれで日本人が敬虔であり、宗教的感情を強く抱いていることを指し示している。一神教を信じない者たちを無宗教と呼ぶのは、あまりにも傲慢すぎる。日本人も、卑下して自分たちは無宗教などと言わず、日本人は日本人であるだけである種の宗教的存在である、と小さい声で言ってやればいいのだ(どうせ聞いてくれないから小さい声でいいとおもう)。」

「ニホン的な守るもの」

本当に私もそうだと思います。日本人は敬虔だと思います。日本人はそれを宗教とは認識していないので、宗教的感情というよりも、信仰心と呼んだ方が私は良いと思っていますが、確かにその通りだと思います。それは太古の昔から日本人が国民性として継承してきた心だと思います。日本人であるということは、それだけで宗教的存在だという著者の意見にまったく共感します。

日本人こそ本当の一神教

著者が言う「一神教の教徒」とは、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教のような、他宗教を認めない排他的な宗教のことを言っているのだと思います。それは「一神教」というよりも、「一宗教」だと思います。しかし、日本人の信じる神は何か特定の宗教の神ではなく、それらを超越した神のことだと私は思います。天地万物を創造した神は唯一であるなら、何か特定の宗教の神であるはずはありません。日本人の信仰は他の宗教と並列するものでなく、超越するものだと私は思います。そういう意味で、日本人こそ本当の一神教と言えると私は思っています。

それは古代日本にやってきたイスラエル系渡来人による

そして、それこそが古代日本にやってきたイスラエル系渡来人の信仰に遡ることができるものだと思います。キリスト教はひとつの宗教になってしまいました。そして、キリスト教は著者が言うように日本人の信仰を排除してキリスト教を日本にもたらそうとしてきましたが、日本人は受け入れません。しかし、聖書の教えも、キリストの教えも、決して宗教ではありません。日本人の心の中にこそ、その本当の精神が継承されていると私は思います。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本人の文化、伝統、風習、国民性のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を開く時、そこに古くて新しい発見があることでしょう。

新約聖書 使徒行伝 7章30~34節

四十年たった時、シナイ山の荒野において、御使が柴の燃える炎の中でモーセに現れた。彼はこの光景を見て不思議に思い、それを見きわめるために近寄ったところ、主の声が聞こえてきた、『わたしは、あなたの先祖たちの神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である』。

モーセは恐れおののいて、もうそれを見る勇気もなくなった。すると、主が彼に言われた、『あなたの足から、くつを脱ぎなさい。あなたの立っているこの場所は、聖なる地である。

わたしは、エジプトにいるわたしの民が虐待されている有様を確かに見とどけ、その苦悩のうめき声を聞いたので、彼らを救い出すために下ってきたのである。さあ、今あなたをエジプトにつかわそう』。

あなたの先祖たちの神

これは大祭司の前に訴えられたステパノが語った言葉の続きです。イスラエルの民をエジプトから救い出したモーセについて旧約聖書に書かれている内容ですが、ここにはイスラエルの先祖の神がモーセに現れたということが記されています。神がモーセに語り、エジプトにつかわすと言われたのであって、決してモーセが自分で思いついたのではないということを言っているのだと思います。これが自分ではなく、神を中心にして生きるということだと思います。人は神の呼び掛けに応答して生きるものだということを聖書は言っているのだと思います。

いかがでしたか

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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