【日本近現代史】武装せる天皇制

大東亜戦争肯定論表紙

今日は林房雄著「大東亜戦争肯定論」の第五章「武装せる天皇制―未解決の宿題」から一部をご紹介いたします。これからの正しい日本のあり方を考える上で、正しい歴史認識を持つことはとても重要なことだと思います。

マッカーサーの軍人的意見

・・・、目下、朝日新聞紙上に、誇らかな「日本占領回想記」を連載中のマッカーサー元帥の名を、私はここにあげたい。元帥曰く、「国民の中のほんの一部にしか過ぎない封建的な指導者たちが支配の座にすわり、他の何千万という国民は進んだ意識を持つ者のわずかな例外をのぞいて、伝統と伝説と神話の完全な奴隷となっていた。第二次世界大戦中、この何千万の国民は勝っている話しか聞かされなかった。そこへ突然襲って来たのが、全面的な敗北という痛烈なショックだった。・・・それは軍事力がつぶされただけではない。それで一つの信仰が崩壊し、日本人がそれを信じて、それによって生き、そのために戦った一切のものが消滅したのである。あとへ残ったのは完全な道義的、精神的、肉体的真空状態だった。その真空の中へ、こんどは民主的な生き方というものが流れこんできた。彼らが以前に教えられたことがいかに誤ったものであり、かつての指導者たちがどれほど失敗をおかし、過去の信念がいかに悲劇的なものであったかは、現実に疑いの余地なく実証されたのである。続いて起った日本人の精神の革命は、二千年の歴史と伝統と伝説の上に築かれた生活の論理と慣習を、ほとんど一夜のうちにぶち砕いた。封建的な支配者と軍人階級へ向けていた偶像的な崇拝の情は憎しみとさげすみに変り、自分の敵に対して抱いていた憎しみとさげすみはやがて敬意の念へ変って行った」

天皇制の変形

マッカーサー元帥去って十年、私たちは今、朝日新聞において、彼の誇らかな「勝利の記録」を読まされている。これを「他山の石」として読むだけの理性は私も持っているつもりだ。だが、それにしても、何という軍人的征服者的回想録であることか!・・・読者は、それが歴史観としても日本認識としてもまことにお粗末なものであり、せいぜい占領の七年間とその余波のうねっていた期間にしか適用できない表皮的な状勢論にすぎないことに、お気づきにならないだろうか。

問題を天皇制だけにかぎって見よう。マッカーサー元帥とその幕僚諸君は「天皇制を無害な象徴に変更して日本に残してやったのは自分たちだ」とひそかに誇っているようである。果してそうだろうか?これもまた単純な征服者の軍人的錯覚またはおもいあがりでなかったかどうか。

・・・天皇制は占領軍によって変形されたが、天皇制は残った。そのことに、日本国民の大多数は満足している。なぜ残ったか、その理由はまだ理解できない。ただ、天皇以上の絶対権力者であった連合軍最高司令官も天皇制の「根本」には手をふれることができず、これを残して去ったという事実に、まず驚き、しばらく茫然とし、やがてそれを喜んでいるというのが、日本国民の現在の心情ではなかろうか。

この点が重大である。日本人は天皇制の変形を気にしない。少なくとも二千年の長い歴史の各時代に天皇制は様々に変形し、しかも変わることなく存続したという事実を、日本人は知っている。マッカーサーは『回想録』の中で、「二千年の歴史と伝統と伝説の上に築かれた生活の論理と慣習を、ほとんど一夜のうちにぶち砕いた」と自誇しているが、軍人ならでは口にできない単純言であり、大法螺である。元帥は東京をはじめ日本人の都市の大半をほとんど一夜のうちにぶち砕くことができた。それが一つの民族の「二千年の歴史と伝統と伝説」と何の関係があるのか。彼がぶち砕き得たのは都市だけだ。しかも、その都市さえも二十年をまたずに復興したではないか。大きなことは言わないがよろしい。(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本の文化、伝統、慣習、国民性のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を開く時、そこに古くて新しい発見があることでしょう。

新約聖書 使徒行伝 18章18~23節

さてパウロは、なお幾日ものあいだ滞在した後、兄弟たちに別れを告げて、シリヤへ向け出帆した。プリスキラとアクラも同行した。パウロは、かねてから、ある誓願を立てていたので、ケンクレヤで頭をそった。

一行がエペソに着くと、パウロはふたりをそこに残しておき、自分だけ会堂にはいって、ユダヤ人たちと論じた。人々は、パウロにもっと長いあいだ滞在するように願ったが、彼は聞きいれないで、「神のみこころなら、またあなたがたのところに帰ってこよう」と言って、別れを告げ、エペソから船出した。

それから、カイザリヤで上陸してエルサレムに上り、教会にあいさつしてから、アンテオケに下って行った。そこにしばらくいてから、彼はまた出かけ、ガラテヤおよびフルギヤの地方を歴訪して、すべての弟子たちを力づけた。

彼は聞きいれなかった

エペソのユダヤ人はパウロにもっと長く滞在して欲しいと願いましたが、パウロはなぜ聞きいれなかったのでしょうか。もっと話を聞きたいという人がいたら、話したくなるのではないでしょうか。その理由は具体的に書かれていないので分かりませんが、語るべきことは語ったということなのかもしれません。大切なことはただ話を聞くだけでなく、実際の生活ではないでしょうか。聖書を学ぶことも大切なことだと思います。しかし、何のための学びなのか。自己中心、人間中心を退けて、神に立ち帰り、神を中心にして生きることではないでしょうか。ユダヤ教徒であること。キリスト教徒であること。教会に通うこと。聖書を学ぶこと。それは悪いことではないと思いますが、それが目的となっているとすれば、目的は何であったのかを考える必要があると思います。

いかがでしたか

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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