【日本近現代史】奇妙な戦争

大東亜戦争肯定論表紙

アメリカは「白い太平洋」のために戦い、日本は「黄色い大東亜共栄圏」のために戦った。・・・アメリカは勝利し日本は敗北したが、両者の「理想」は共に実現されず、太平洋もアジアもそれぞれの民族の手に返却された奇妙な戦争だったと林房雄氏は記しています。「大東亜戦争肯定論」からご紹介いたします。

ハル・ノート

アメリカ側の「最後の通牒」は昭和十六年十一月二十六日の「ハル・ノート」であった。・・・「もし日本がハル・ノートを受諾すれば、日本は日清戦争以前の状態にまで後退することを意味する」という田中正明氏の解釈は正しい。パール博士の言葉によれば、「それはもはや交渉ではなくして、日本にたいし全面降伏を迫る最後通牒を意味するもの」であった。

アメリカからの宣戦布告

・・・真珠湾攻撃の直前に、アメリカ政府が日本政府に送ったものと同じ通牒を受けとった場合、モナコ王国、ルクセンブルグ大公国のような国でさえも、アメリカに対して武器をとって立ちあがったであろう。アメリカ政府もまた、このような過酷な一方的通牒は最後通牒であり、宣戦布告に等しいものであり、日本政府は当然これを拒否して、実力行使に出るであろう、ということをはっきり予測し、計算していたのである。

アメリカの戦争命令

ルーズベルト大統領とハル国務長官とは、右のノートに含まれた提案を日本側が受諾しないものと信じていたので、日本側の回答をまつことなく、右の文書が日本側代表に手交わされたその翌日、アメリカの前哨地帯の諸指揮官にたいして、戦争の警告を発し、戦争体制に入ることを命令した。ロバート報告書は、アメリカ前哨指揮官たちが十一月二十七日に、すでに開戦の日が迫っているという警告を入手したと明言している。」

真相

これが真相である。歴史の真相は時勢というものの中に埋没し終わるものもあるが、時間がたつにつれて、自然に現れることもあり、また学者たちの努力によって発掘され万人の目にふれるようになることもある。日米開戦の裏面には、まだ私たちの知らぬ多くの「真相」が埋没されているであろう。

「太平洋戦争」と「大東亜戦争」

読者は、なぜあの戦争がアメリカによって「太平洋戦争」と名付けられ、日本によって「大東亜戦争」と呼ばれたか、その理由を理解し得たことと信じる。アメリカは「白い太平洋」のために戦い、日本は「黄色い大東亜共栄圏」のために戦った。だから、アメリカにとっては「太平洋戦争」であり、日本にとってはどこまでも「大東亜戦争」であった。共に百年の歳月を通じて戦い、アメリカは勝利し日本は敗北したが、両者の「理想」は共に実現されず、太平洋もアジアもそれぞれの民族の手に返却された奇妙な戦争であった。(本からの抜粋引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は古代日本にやって来たイスラエル系、ユダヤ系渡来人によってもたらされた日本人の文化、伝統、習慣、国民性のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人の心を知るために聖書を読んでみてください。

新約聖書 使徒行伝 28章23~30節

そこで、日を定めて、大ぜいの人が、パウロの宿につめかけてきたので、朝から晩まで、パウロは語り続け、神の国のことをあかしし、またモーセの律法や預言者の書を引いて、イエスについて彼らの説得につとめた。

ある者はパウロの言うことを受けいれ、ある者は信じようともしなかった。互に意見が合わなくて、みんなの者が帰ろうとしていた時、パウロはひとこと述べて言った、「聖霊はよくも預言者イザヤによって、あなたがたの先祖に語ったものである。

『この民に行って言え、あなたがたは聞くには聞くが、決して悟らない。見るには見るが、決して認めない。この民の心は鈍くなり、その耳は聞えにくく、その目は閉じている。それは、彼らが目で見ず、耳で聞かず、心で悟らず、悔い改めていやされることがないためである』。

そこで、あなたがたは知っておくがよい。神のこの救の言葉は、異邦人に送られたのだ。彼らは、これに聞きしたがうであろう」。〔パウロがこれらのことを述べ終ると、ユダヤ人らは、互に論じ合いながら帰って行った。〕

パウロは、自分の借りた家に満二年のあいだ住んで、たずねて来る人々をみな迎え入れ、はばからず、また妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えつづけた。

パウロが語ったこと

訪ねて来たユダヤ人にパウロが語ったことは、神の国をあかしすることと旧約聖書からイエスについて話すことだったと記されています。神の国とは、自己中心、人間中心を退け、神に立ち返り、神の御心に生きることこそが救いであるというイエスの教えのことであり、イエスこそ旧約聖書が預言するメシアであると話したということでしょう。受けいれる人もいましたが、信じようともしない、つまり、考えてみようともしない人もいたということでしょう。何と頑なな心なのでしょうか。彼らはユダヤ教徒でしたが、その宗教が人々を神から遠ざけてしまうという皮肉なことが起り得るということではないでしょうか。つまり、宗教を守ることが優先されてしまうと、かえって神に立ち返って生きるという本質が見えなくなってしまうのかもしれません。大切なことは宗教ではありません。いつも神を意識して、神の前に正しい生活をすること。それが救いであるということだと思います。

いかがでしたか

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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