【日本近現代史】占領の尻っぽ

大東亜戦争肯定論表紙

戦後には「民主主義」も「自由」もなかった。そこにあったものは「東京裁判」であり、日本弱化政策であり、民主主義と称する強引なアメリカ化にすぎなかったと林房雄氏は記しています。「大東亜戦争肯定論」からご紹介いたします。

占領下に民主主義などというものは存在しない

奥野健男氏が『昭和戦争文学全集』第十巻の解説で、阿川弘之氏の作品について書いた文章がある。「・・・また昭和二十五年頃までは日本兵の勇敢さを、少しでも描いた文章はGHQによって検閲された。戦争を書くならば主人公は戦争反抗者、戦争批判者に、あるいは徹底的な被害者、犠牲者として描く。特攻隊員は犬死したバカ者であり、街のぐれん隊と同じであるとさえ見なされていた。そういう中で、戦争を信じ、日本の勝利を願い、死んで行った学徒兵の純粋さ美しさを内側から描くことは至難であった。たとえ全体としては戦争否定、戦争批判の志によってつくられていても、戦争を肯定した人物の心情を救い出すことは極めて困難であった。ぼくは当時の戦争小説を読み、戦争中ぼくたちのまわりにみちみちていた愛国者、軍国主義者、戦争を信じてはげんでいた人々がほとんど登場せず、当時お目にかかったこともない戦争批判者、傍観者だけが登場するのに奇異の感を抱いた。ぼくは当時の戦争文学に対して不満と不審を抱かざるを得なかった」

思いあたる節がある

いろいろと思いあたる節がある。たしかに占領というものはそんなものであり、占領下で生れた小説には多少とも、または、はなはだしく、そんな傾向があった。当時流行した文芸・政治・社会・歴史評論もまた、全く同様であった。

空白用文章

私はそのころ「新夕刊」という「世にも不思議な新聞社」(これは吉田健一君の命名)の編集を手伝っていた。その吉田君の回想によれば、「占領軍が新聞その他、すべての出版物を厳重に検閲していたことについては、我々は当時固く口止めされていた。これは検閲が言論の自由の圧迫であって、占領軍も、日本政府に一切の検閲を禁じていたからであるが、・・・それで検閲にひっかかった部分は、そこだけ白くしておくことが許されず、他のもので埋めて組みなおされなければならないので」私たち編集部員、特に「渉外部長」吉田君はGHQさんを相手にいろいろと苦労しなければならなかった。

現在にも残る影響

幸いその社にはまだ若かった横山兄弟、清水崑などの優秀活発な漫画家がいたので、空白埋めに大いに役立ったわけだが、今からふりかえれば、占領下の小説や評論の大多数はこの「空白埋めの漫画文章」ではなかったのか?意識して便乗した御連中は論外だが、空白にされないために苦労しているうちに、習慣性となり、同時にそんなものだけを書いておれば、結構食えるし、流行作家・流行学者顔ができるので、「空白用文章」を文章の王道のように思いこんでしまった一世代ができ上がって、それが現在にもまだシッポをひいている。

現在のマスコミ、大学、知識人の正体

占領下の小説、評論の大多数は当時読んでも何か信用できず、おもしろくもなかった。というのは、日本人にとって決定的に重要な何物かが書きおとされ、「空白」にされていたからだ。・・・残党諸教授は、かってはこの種の空白用文章の名手であり、いまは占領下で自らかぶった赤毛のカツラを「死守」しようとしている・・・。(本からの抜粋引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書を読みましょう。聖書は古代日本にやって来たイスラエル系、ユダヤ系渡来人によってもたらされた日本人の文化、伝統、習慣、国民性のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、本当の日本人の心を知るために聖書を読んでみてください。

旧約聖書 創世記 1章6~8節

神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」。そのようになった。神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。神はそのおおぞらを天と名づけられた。夕となり、また朝となった。第二日である。

おおぞらの下の水とおおぞらの上の水

この聖書の記録によれば、大空の上にも水があると記されています。今、空を見上げても水はありませんので、かつてはあった水が今はなくなったということでしょうか。かつて大空の上に水があったという記録は聖書以外にはないと思いますが、科学者の中にはかつて大空の上にも水があった証拠があると言う人もいます。それは南極の氷の中からマンモスやシダ類などの熱帯に生息していたと考えられる動植物が発掘されることだそうです。それは、かつて南極も熱帯であったことを示していますが、地球が水の膜で覆われていて、地球全体がビニールハウスのような中にあり、全体的に温暖で均一な気候にあったと考えられるのだそうです。そのためには大空の上に水の膜があったと考えることが最も合理的だということですが、そのような記述は聖書にのみ記されています。確かに聖書は特別な書物だと言うことができると思います。

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」

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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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