【日本とイスラエル】日本神道はイスラエル起源なのか?(1)

神社の拝殿

先日のブログに次のようなご質問をいただきました。私も少し調べてみました。調べてみると、新しことが分かります。ご質問に感謝いたします。

ご質問の内容

「神道には教義がなく、本来建物としての神社すらなかったはず。そのような存在である神道の、現在執り行われている儀式は、いつどのようにして整えられてきたのか。それを理解することが、仰るような類似点に着目する前提として必要なのではないだろうか。それなくして、現代今時点における風習とユダヤとの共通点に着目しても納得感が得られにくい。このように考えることについて見解を頂ければ有難い。」

久保有政氏に聞いてみました

私自身も少し調べてみましたが、古代日本と古代イスラエル、古代ユダヤについて詳しい久保有政氏に聞いてみました。久保氏は次のようなお返事をくださいました。「現在のような神道儀式等は、もともと古代の古神道に発し(古代イスラエル人由来と思われる)、その後3~4世紀に秦氏が渡来して(古代イスラエル人のキリスト教徒)、各地に神社をつくり、そうした中で整えられて行ったはずです。もともと教義がないことはなかったと思われますが、教典を持たなかったため、しだいに伝統のみになったと思われます。」

東京神社庁のウェブサイトから

久保氏の回答だけでも十分だと思いますが、私はまず、ご質問の前提になっている「神道には教義がなく、本来建物としての神社すらなかったはず。」についても考えてみました。確かに、神社の建物はいつごろから作られるようになったのでしょうか。興味深い事柄です。東京都神社庁のウェブサイトを見てみました。「上古の神社はどんな形をしていたのか」というタイトルで、次のように説明されていましたのでご紹介いたします。

上古の神社はどんな形をしていたのか

「『古事記』『日本書紀』によれば、神武天皇の東征後、数代の天皇は天照大御神の神鏡を皇居に祀っていました。つまり、皇居が神宮であったことになります。そして、第十代崇神天皇朝に初めて天照大御神を大和の笠縫邑(かさぬいむら)に祀り、皇居と神宮を分離させました。『古事記』では、同朝期に『天神地祇(てんしんちぎ)の社を定め奉る』と記されていて、・・・天神を祀る天社(あまつやしろ)と国神を祀る国社(くにつやしろ)が定められたことが分かります。」

紀元前より「社」はあった

この説明によれば、「社」は紀元前よりあったということだと思います。それ以前に「社」はなかったのかもしれませんが、 古代イスラエル人が紀元前に渡来して来た当初から神社の「社」は作られていたということだと思います。「神道の教義」については、次回のブログで書きたいと思います。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本の文化、伝統、習慣、国民性のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人の心の原点を知るために聖書を読んでみてください。

旧約聖書 創世記 8章20~22節

ノアは主に祭壇を築いて、すべての清い獣と、すべての清い鳥とのうちから取って、燔祭を祭壇の上にささげた。主はその香ばしいかおりをかいで、心に言われた、「わたしはもはや二度と人のゆえに地をのろわない。人が心に思い図ることは、幼い時から悪いからである。

わたしは、このたびしたように、もう二度と、すべての生きたものを滅ぼさない。地のある限り、種まきの時も、刈入れの時も、暑さ寒さも、夏冬も、昼も夜もやむことはないであろう」。

燔祭をささげた

箱舟から出たノアは燔祭、つまり動物を焼いて、神様に捧げたと記されています。その動物は箱舟に乗っていた動物だと思いますが、それぞれ一つがいずつしか乗っていなかった動物を捧げてしまったら、その動物は絶滅してしまうのではないかと余計なことを考えたりしています。いずれにしても、ここで聖書が伝えたいことは、清い動物を神への捧げ物として捧げたということなのでしょう。ノアはこのように神を心の中心に置いて生きる者であったことが分かります。

神の独り言

主は心に言われたとありますので、これは神様の独り言なのでしょうか。「 人が心に思い図ることは、幼い時から悪い。」とあります。確かに幼子は天使のようでもありますが、誰に教えられなくても、その心に悪いことを考えます。それは幼い時から、つまり、生まれつきということでしょう。初め神は人間をそのような者には作りませんでしたが、アダムとエバが罪を犯してから、その罪は全人類に、神を敬うノアの子孫でさえ、生まれながらに神の御心にそぐわないこと、自己中心、人間中心の思いを抱くということでしょう。そのことを知ることは大切だと思います。つまり、私はどうして悪いことを思うのかと悩む必要はないということです。生まれつき人間はそういう者だということです。だから、そのような悪い思い、自己中心、人間中心を退けて、神の喜ばれる生き方をしたら、それでいいということですね。このように事実を正しく知ることが、正しく生きる上での出発点になります。無意味な悩みから解放され、正しい努力をすることができるようになります。事実を正しく知らなければ、いつまでも間違った前提の上に生きることになってしまいます。

いかがでしたか

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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